「新しい自分が見たいのだ-仕事する」

のし竹花入れ


飯塚琅かん斎は竹の世界では知らない人がいない高名な作家ぞね。竹細工の世界観を変えた作り手と言われちょりますが、その作品は観る者の心を鷲づかみにして離さない圧倒的な凄みがあるがです。亡くなって50年以上が経っても尚、その産み出された竹細工に魅入られてしまうのは、それが誰かに使われる事を前提とした生活の中で活かされる竹やきですろうか?竹の美しさの向こうに人の暮らしが感じられるきやろうか?


そんな飯塚琅かん斎が創作した竹は、まっこと目を見張るようなものばっかりですけんど、中でも一度見たら忘れられない作品がいくつかあるがです。その一つに一本の竹をのして平たくしちょってから、半分に折り畳んだようなシンプルでいて竹の本質にグッと迫るようなしびれる花入れがあったがです。


のし竹花籠


竹の「顔」を大事にされた作家の方やったがやにゃあ。前に飯塚琅かん斎の作品展を拝見したときに自分が改めて感じた事ぞね。竹は表皮を剥ぎ細い竹ひごにして緻密な編み込みをしていく技は、もちろん熟練の技術ですけんど竹を幅広くそのままに、竹肌や竹節を活かして自然の竹の表情を最大限に見せる細工は、さらに高度な技術と何より感性が問われるように思うちょります。


これはエイにゃあ、手にとってみたいにゃあ...飾りたいにゃあ...。言葉を失うて、ただただ魅入るばっかりでしたけんど、ある時、京都にある河井寛次郎記念館に行った時、同じような花入れが飾られちょって、まっこと驚いたがです。記念館の方に聞いてみましたけんど河井寛次郎が生前集めたものか、一人娘であった河井須也子さんが手に入れられたものなのか、ハッキリした事は分からないとの事やったがですが、あれだけの素晴らしい陶芸家の方の目にもとまった竹やとしたら、そんな想像をするだけで、まっこと嬉しゅうなってくるがです。


実は河井寛次郎を知ったキッカケは焼き物ではなくて「いのちの窓」という随筆やったがです。その中での一文が心から離れず、焼き物など分らんがですが、モノ作りにどこか通じる事があるはず。そう思うて遠く記念館のある京都まで足を運びましたけんど、やっぱり、何かが呼んでくれよったのかも知れませんぞね。


随筆の中の一文とは「新しい自分が見たいのだ-仕事する」なんとエイ言葉やろうか。その後、運良く手にする事ができた白竹のし竹花入れを見る度、この寛次郎の文章を思い出すがぜよ。


ええっ?自分が手にしちゅう作品ですか?いえいえ、もちろんこの花入れは飯塚琅かん斎のものではないがぞね。他の作り手のオマージュではないですろうか?すばらしい出来映えで、こじゃんと気に入っちょりますぜよ。


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