美しい竹踏み(炭化竹)への、こだわり

炭化竹


先週は強力青竹踏み踏王(ふみお)くんのお話をさせていただきました。今日は引き続いて炭化竹を使うた竹踏みの事をお話させてもらいたいがです。炭化竹と言うのは炭化窯という専用の窯で、高温と圧力で蒸し焼き状にする加工方法のことながです。炭化加工すると一種焼きを入れる訳ですきに、青竹本来の清々しい色合いがなくなり、濃い茶色に変色します。これは、これでなかなか渋い風合いで自分は好きながですが、何もこれは色合いの問題で炭化加工するという事ではもちろん無いがです。


青竹踏みは自然の竹をそのまま加工して使います。山から伐りだし自然乾燥、そして機械を使うた乾燥もさせますが、やはり梅雨時など湿気の多い季節にはカビが生える事もあります。また、薬剤処理などしちょりませんので竹を食う虫の問題も発生します。


炭化竹磨き加工


そこで炭化加工なのです、この加工をしますとカビは生えにくくなりますし、防虫効果もかなり高まります。しかも、炭化加工は熱処理であり薬剤を使うちゅうワケではないので、室内で素足で使う竹踏みには安心な加工方法と言えますちや。


そうこう言いうゆう間に、くすんだ色合いの炭化竹はグラインダーで磨かれて竹肌に艶が出てきましたぜよ。


竹工場でのベルト交換


さて、この炭化竹の竹踏みですけんど、炭化窯から出した後はグラインダーでの加工という事で、実はあまり職人の手業とは関係無いのではないろうか?もしかしたら、そんな風に思われる方もおられるかも知れませんちや。けんど、それは、ちっくと早とちりと言うもんぜよ。もちろん、この機械で加工していく工程にも、竹職人ならではの、こだわりやノウハウがあるがですぞね。それが三段階に変えるベルトながです。まず、炭化加工されたばかりの竹には粗めのグラインダーを当て、それからベルトを交換して中粗で磨き、最後に一番細かい目のベルトにして仕上げ磨きをしよりますちや。


炭化竹仕上げ


最後に磨き上がった炭化竹はピカピカに光りよりますぜよ。まっこと(本当に)ニスか何か塗料でも塗ったかのように見えますが、これが磨きだけでツヤをだした竹ならではの光沢ながです。竹踏み(炭化竹)は防虫効果やカビに強いだけではなくて、炭化竹ならではの美しさも表現されちゅう、実は、ひと手間もふた手間もかかった逸品ながです。


仕事机にも食卓にも

虎竹手付きミニ籠バック


自分達のより上の世代の方やったら懐かしく思っていただける、お母さんが近所へのお買い物によく使われちょった手提げ籠バックを手の平サイズに小さくした可愛い小物入れが出来ちゅうがです。名前は虎竹手付きミニ籠バックとしていますが、虎竹は英語にしたら「tiger bamboo」となりますきに、海外で小物入れなどは「box」らしいきにtiger bamboo boxやろうか?ミニ籠バックよりボックスの方がしっくりきますにゃあ。


まあ、それはさておき、このミニ籠バックの使い方は小物入れとしてが一番エイですろう。お仕事のデスクでは携帯電話やメガネ、電卓、もの差し、ペンなど、こまごました物を入れてお使い頂けるかと思うちょります。食卓ではテーブルの中央に置いちょって調味料入れに丁度ですぞね。持ち手もありますので、こじゃんと(とても)便利ではないかと思うがです。


竹は昔からずっと生活の中で使われてきたがです。現代の暮らしで見かける事が少なくなったものの、それは忘れられちゅうだけではないろうか。ひとつ竹がテーブルに置かれると優しい雰囲気があふれだし、その周りに笑顔ができる、そんな竹でありたいにゃあ。


強力青竹踏みの製造

青竹踏み製造


職人さんが一本、一本真竹を縦に切っていますぞね。竹を割ったような性格と言う言葉を聞いた事があるかと思いますけんど、竹は縦にはパンッと音をたてて割れるほど割やすいものながです。けんど、こうやって縦に切っているのにはワケがあって、そのワケはどうやら切り方にあるようながです。


強力竹踏み


切り方というたら分かりづらいかも知れません。切る割合と言えば分かりますろう。実は丸い竹を単純に半分に切っているという事ではなく、一方を6、もう一方を4の比率に切りゆうがです。百聞は一見にしかずと言われますぞね。切り割して捨てられる素材をご覧になられたら、すぐにご理解してもらえるかと思うて写真を撮ってみたがぜよ。


踏み竹加工


実はこれが強力青竹踏み踏王(ふみお)くんが足にグイグイ効く秘密。普通の青竹踏みが太い孟宗竹を半割なのに対して、細めの真竹を6対4に加工しちょりますので竹の足当たりが、よりピンポイントに当たりますきに、こじゃんと効くがぜよ。青竹踏み初心者の方にはオススメできませんけんど、自分など昔からずっと愛用しよったら、普通の青竹踏みでは満足できなくなってくるがです。実は社員の中にも愛用者がおって、この踏王くんも社員のアイデアぞね。格別のイタキモ(痛いけれど気持ちいい)感を味わうがやったら絶対にこれぞね。


ただひとつ、ご覧になられて分かるように難点があるがです。それが普通の青竹踏みは一本の竹から2個できますが、この強力青竹踏みは一本の竹から1個しか製造できない事ながです。だから通常の青竹踏みより、ちっくとだけ値段が高いがぞね。けんど、それだけの価値は十二分にある大満足の踏み竹ちや。



ジャパンクリエイティブとは? Japan Creative

日本唯一の竹林


「ジャパンクリエイティブ(Japan Creative)?」最初お話をチラリと聞いた時には、学生時代から英語は出来んかったし横文字は妙に苦手という事もあってから、実はあまり自分達とはそぐわないのではないかにゃあ、そう思いよったのが正直なところながです。


もちろん日本の竹ほど素晴らしい素材は他にはちょっとありません。だから、モノ創りをするなら絶対に注目される素材ですし、しかも、竹は日本人と長い長い付き合いで生活の隅々に入り込み、まさに豊かな自然と、美しい四季のある日本のイメージそのものぞね。けんど、クリエイティブが創造であるとか、新しいモノや今までになかった事を生み出すという意味であれば、東京のデザインの方が、わざわざお越しになられなくとも、自分が誰よりも竹の事を知り、竹の特性を思い、竹を愛しちゅう新しいモノは愛からしか生まれんものではないろうか?そんな事も思いよったがです。


竹虎工場 Japan Creative


しかし、話しを聞くと県の関係の方も来社されて何か力が入っちゅう。そりゃあそうぞね、高知県下で3社が選ばれて今回のお話となったがきに...そう勝手に思いよったら、


「オールジャパンで3社ですぜよ、竹虎さん」と県の担当の方。


「なにっ!?自分達だけながですか?」


わざわざ竹虎のためだけに何度も高知に足を運び、県の方も来られちゅうのかと思うてまっこと恐縮してお話を聞かせてもろうたがです。自分は田舎者ですし、頭も悪い小さい竹屋やきに、それでもやっぱりアレコレお話を聞いても、こじゃんと洗練されちょりますし、デザイナーはドイツの方や言われるし、あまり話しが大きすぎてやっぱりあんまりピンと来なかったがです。それで改めて考えたのですが竹虎のモノ作りの基本は「自分」ながです。自分が好きか、自分が楽しいか、使いたいか、心地良いか。


日本一の竹屋と人から言われよった祖父に見せて、「ああ、これなあ...」目を細めて大阪弁で褒めてもらいたい。ただ、それだけの事でやってきましたきに、誰かと竹で協働するという事は初めての経験と言うてもエイ。だから、取っ付きが悪かったのかも知れませんちや。


袖垣説明 ジャパンクリエイティブ


ちっくと東京の方にも面白い人がおるがやにゃあ。そんな風に前向きに思えだしたのは竹林に行ったり、工場で竹を見て頂いたりする中で、二人のデザイナーの方の志と人柄が「ワシらに似いちゅうぜよ」そう竹たちが言うてくるきながです。海外からのデザイナーさんも数日滞在されて、しっかりと竹と向きおうてくれると言われます。それなら、竹虎の竹を少しはお伝えできる時間もあるろうか。


竹虎工場見学


日本の竹は、まず日本の若者に知ってもらわんとイカン。青竹踏みも知らない若者こそ「外国人」だから...。ヨーロッパなどは行った事もないし井の中の蛙ですきに、そうずっと言うてきましたけんど、海外で認められた日本の伝統文化や商品が、逆輸入のような形で国内に受け入れられた事も多いようながです。そう考えたら、海外の方に唯一の虎竹を見てもろうて、何か新しい発想を形にできるのなら面白そうな試みやと思うちゅうがです。


イタヤ細工のような竹細工

イタヤ細工のような竹細工


秋田県のイタヤ細工をご存じですろうか?原材料はイタヤカエデの若木を使うちゅうそうですが、白木が目にも清々しく丁寧に幅を揃えられた材料で網代編みされた手提げ籠バックや小物入れ、弁当箱など色々な品が作られちゅうがです。


そんなイタヤ細工を思い出させるような竹細工に出会いましたぜよ。昔ながらの職人さんの作というのが一目で分かるのは、現在の竹細工は価値のある竹表皮部分は使いますけんど、このような竹の身の部分を使うような事はしないのです。


竹網代編み


本当に竹やろうか?竹と分かりながらも近寄って手にしてみたら、竹節があるし間違いなく、やっぱり竹ですぜよ。それにしても竹ヒゴを綺麗に取っちょりますちや。こんな竹の身を美しく仕上げる細工は、ほとんど見た事がないですし、こじゃんと違和感があるがです。


壁竹を知らない方も多いかも知れませんのでご説明しますけんど、昔の住宅は土壁でしたので、その芯になる部分に竹で格子を組みよりました。自分が入社当時には竹虎では二級品の虎竹を使うて、10トントラック満載になるまで、この壁竹を製造しよりましたぞね。壁竹でも丈夫な表皮部分は製品に使いますが、皮を使うた後の身の部分が山のように出来るのですが、一度も何かに使うた事がありませんぜよ。だから、こんなに幅をそろえて整えた竹の身を見ると驚いてしまうがです。


竹籠


まっこと遠目に見たらイタヤ細工と間違えても不思議ではないような、ちっくと珍しい竹細工、前には色々と作られよったようですにゃあ。どうしても耐久性や強さに劣りますので、国産の竹細工としては今後も作られる事はないですろう。けんど、竹の歴史の1ページを垣間見させてもろうた思いながです。


青竹踏みの竹節

原材料の竹


昔から日本人に愛用されてきた健康法の一つに青竹踏みがありますぞね。自分の感覚から言うたら日本のご家庭に少なくとも一つはあるものが、青竹踏みやと思いよりましたけんど最近の学生さんに聞くと竹の青竹踏みなど見た事も、聞いた事もないと言われますので、自分の感覚が随分とズレてきちゅうがやろうか?と心配になりますぜよ。


けんど、もしご存じない方がおられましたら一回お試ししてみとうせや、こんなにお手軽で、場所もとらず、何処でもできる健康法は他にはちょっと無いと断言しますぞね、だからこそずっと古来から日本で愛用されてき続けちゅうと思うがです。


そんな青竹踏みの材料は実は山から伐り出された後、こうやって出来るだけ竹の青さを保ちたいと直射日光を避けるため、天井に竹をズラリ並べた土場で保管されちゅうがですぞね。この画像に写っちゅう竹は真竹ですので、青竹踏みでも踏み王くんの材料となる竹ですちや。


孟宗竹は、ちっくと違うて、こんなに青くはないですけんど、それでも同じように大切に材料は保管されよります。まっこと、ここだけ見ても職人さんの竹に対する思い入れを感じますろう。おっと、そうそう、けんどもちろんこの青さはいつまでもそのままでは無くて、時間の経過とともに青さは薄れ最後には白竹のような色合いになってきます。しかし、お客様の所に届けるまで少しでも清々しさを感じてもらいたいと、こうやって工夫しながら製造されていくがぜよ。


竹湯抜き作業


青竹踏みは全て「湯抜き」と言われる竹の余分な油を取り除く作業をするがぜよ。ちょうど湯抜きする前の孟宗竹と湯抜きした後の孟宗竹がありますちや。奧の竹と手前の竹と全く色合いが違うと思いますが、これが湯抜き加工した効果ながです。虎竹などはガスバーナーの火で油抜きしますので「火抜き」と言うて、湯抜きは文字通り熱湯で油抜きされていきますぜよ。まあ、言うなれば竹のお風呂みたいなもんかにゃあ。竹表皮の汚れも何もかも綺麗さっぱり落とすと、こんなに美しいがぞね。


青竹踏み仕上げ工程


さて、青竹踏みをご購入いただいた皆様はご存じかも知れませんが、竹には節があって半割した竹表皮部分に節が高く残ります。足踏みする時には当たって痛いのでこの部分を削るのですが、ここにも職人さんの工夫がキラリと光よりますちや。それがこのグラインダーぜよ。本当やったら幅広いベルトが取り付けられて回転しよりますが、この作業の機械には幅が極狭の特別ベルトが取り付けられちょります。そうです、これやったら青竹踏みの表皮部分から竹節の所だけをピンポイントで削る事ができるがです。


青竹踏み


さっそく削り上がって青竹踏みの仕上げ加工完了ぜよ。こうやって一本一本丁寧な仕事を重ねて出来上がりよります。竹を半分に割っちゅうだけでは、ないですぞね。まっこと、これも匠の技の結晶と言えるがです。



虎竹の古里焼坂の峠にて

虎竹の里


虎竹の里は、たったの1.5キロ程度しかない細長い谷間にあるがぞね。日本一の森林県である高知にあって、しかも竹林ばっかりやと言うきに、どうしても山の印象が強いのではないかと思うがですが、実はすぐ前には美しい土佐湾を望める安和海岸があるがです。


それにしても、ここからの景色はいつ見てもエイもんぜよ。すぐ下にはJR四国の線路が走っていて、安和の無人駅があるがです。自分の子供の頃には、この駅には2~3人の駅員さんがおられて駅舎も立派やったぞね。乗り降りされるお客様も結構おって今より全然賑わうちょりました。今では無人駅になってしもうたがですが、目の前に海の広がっちゅう抜群の景観、良くお弁当を持ってきてランチに使う場所ですきに、勝手にレストラン「安和駅」と呼ばせてもろうたりしゆうがです。


安和の集落があり竹虎の工場も見えますけんど、その向こうにそびえる山が虎竹の古里、焼坂の山、小学校低学年の頃に国道が新しく出来て、この焼坂の山にトンネルが出来たがぞね。たしか当時は四国で一番長いトンネルやったと記憶しちょりますが、自分たちにとっては標高以上に大きな大きな山ながぜよ。


虎竹の山出し


山肌に薄緑に見えるのは全て竹林ぜよ。山の麓から曲がりくねった遍路道にも使われよります昔ながらの古道は、ずっと続いて焼坂の峠まで続いちょります。普通なら誰も通らない未舗装の山道ですきに荒れ放題かも知れませんが、竹虎や山の職人にしたら毎年、虎竹が伐り出されてトラックが登り下りする現役の、まさに生活道と言えるがぞね。だから、峠までは2トントラックが登れるし、長い竹を積んだままでも下りてこられる様なしっかりした道が、今でも無事に残っちゅうがですちや。


焼坂の山道


ところが、やはり土の道路というのはアスファルト舗装した道と違い、大雨が降れば流されるし、轍は深くなる、山側から土砂が崩れ落ちたりもする、まだそれならエイですけんど草だけでく大きな木が生えるということもあり、人が通らなくなった途端に、元の自然の姿に戻ろうとするがです。


今でもお遍路の方がたまに通るだけの山道を歩いてみるがぜよ。焼坂の峠を越えると虎竹の姿がパタリと見えなくなりますけんど、急に景色が変わるのは竹のせいだけではないがです。振り返ってキラキラ光る須崎湾を眺めよったら気持ちのエイ風が吹き上げてくる。竹虎120年、決して簡単な道のりではないにゃあ。改めて思いをかみしめるがです。


青竹で焼く竹パン

竹パン


考えたらもう何十年も前の事になりますちや、竹で美味しい炊き込みご飯を作ると言われるので訪ねて行ったことがあります。あの時は確か竹の節を抜いて、その中にお米や水、それから鳥肉、人参など具材を入れて最後に調味料の醤油を入れました。本体の筒よりちっくと小さめの竹で栓をして、焚き火の上につるして炊きあげたがです。


そう言えば、先日のポーラス竹炭作りの時に竹林で火を燃やしても、青々とした竹は燃える事はないと竹炭職人さんが話されちょりましたが、あの竹炭ご飯を炊いた時にも直火がゴーゴーと当たっても、筒の中に水気が入っている竹は黒く焦げる事はあっても、どれ一つとして燃えるものはなかったがですぞね。あれだけ油分の多い植物やのに思えば不思議なものですちや。


さて、あの時の炊き込みご飯は口から吹き上がると出来上がりやったぞね。頃合いを見計らって、ご主人の方がナタで豪快に半分に割って、そのまま竹を容器にして集まった皆で美味しく頂戴しました。竹の香りがご飯の湯気と一緒にフワ~っと立ち上り、こじゃんと(とても)美味しかった事を今でも覚えちゅうがです。


竹パン焼き


今回の竹の中身はパンぜよ、もう何度か食する機会をいただいちょります。最初に半割にしちょった竹にタネを入れ、針金で縛りなおして炭火で炙っていくがです。こういう料理のエイところは、出来上がるまでの時間も楽しめる事かにゃあ。


竹パン焼き上がり


竹に囲まれた竹づくしの中、頂くパンまでも竹で焼かれたもの。竹は一日に一メートル以上も伸びる事もあるような神秘的な成長力があるがぜよ。昔から色々な神事にも重用されてきた理由の一つと思いますけんど、そんな竹パワーを炊き込みご飯にしてもパンにしても丸ごと頂けるようで、まっこと(本当に)元気になるがです。


テレビ高知「7時チンまで」本日放映ぜよ

日本唯一虎竹の山道


先日、取材にお越し頂いちょりました地元テレビ局さんの放映が、本日の午後6時50分から7時までの10分間あるがです。番組名はテレビ高知「7時チンまで」というそのまんまですきに、こじゃんと(とても)分かりやすい、覚えやすい番組です。地元高知の方は是非、ご覧頂きたいと思うちゅうがです。


どんな放映内容になっちゅうか分かりませんけんど、何ちゃあ、いつもと同じ事ですぞね。曾じいさんが登り、祖父が登り、父が登りした、こんな小さな竹林の中の山道に自分達の歴史があって、竹虎の進む道があるという事をお話させてもろうただけですちや。


竹林の職人


虎竹はどうなるがやろうか?山の職人さんは?竹の作り手は?頭が悪いなりに色々と考えたりしよりましたら、この先に何があるか分かりませんきに、不安がないと言うたら嘘になりますろう。けんど、竹の仕事をはじめた大阪の地から、遙々この異国とも言うよなう遠くの虎竹の里までやってきた。その船の中で宇三郎はどうやったですろうか?きっと水平線の遠くばっかり見よったに違いないぜよ。


日本の伝統文化は大きな曲がり角にきちょります。変化の時やき、チャンスとも言えるろう。創業120年の真価が問われゆうと思いながら、テレビカメラの前で一所懸命お話させて頂いたがです。


鮎の竹串

竹串製造


魚を竹串に刺して囲炉裏で焼くのは、まっこと風情があるものですちや。風情があるだけでなく、川魚は炭火でじっくりと慌てず焼き上げると、まっこと格別な味わいがあるものですちや。小骨まで、こんなに美味しいものか!?と驚くような味わいですぞね。そんな川魚の中でも、やっぱり鮎は格別ですろうか。


虎竹の里から、ひと山越えたすぐ近くにカワウソが最後までおったという、清流で有名な新荘川という川があるがですが、実は父が無類の鮎好きやったから、何と好きが高じてここの川漁師の免許を取ってシーズンには漁に行きよりました。漁と言うたら大袈裟に聞こえるかも知れませんけんど、まっこと専用の冷凍庫を一つ買うちょったほど鮎を捕りよりましたぜよ。自家製の燻製を作ったり、今思えば贅沢な食卓やったろうけんど、子供の頃は又今日も鮎か...とがっかりしよりましたぜよ。あの苦みが苦手で、まっこと大嫌いな魚となっちょったがです。だから鮎の美味しさに気づいたのは、こじゃんと後になってからぞね。子供の頃の印象が強く食わず嫌いで、全然食べようとはせんかったです。もちろん、今では炭火でジリジリ時間をかけて焼いた鮎は大好物ちや。


そんな鮎の竹串はどうやって製造されゆうか、ご存じですろうか?ご覧のように高速回転するグラインダーに、素手で細い竹串をあてがって削りだされゆうがです。竹はしなりがあって丈夫です、細く細く指先の感覚を使うて、手早く仕事されゆうのには感激してしまうがです。竹串などは輸入のものが幅をきかせる時代ですけんど、まだこうやって国産材にこだわり、国内製造できると言う事は同じく日本の竹にこだわる自分達にしても嬉しい限りぜよ。


国産竹串のエイところは竹表皮に近い部分の材料しか使うてない所。竹の一番丈夫な所だけを使用しちょりますので強さが全く違うぞね。これは、同じように製造される竹楊枝を使うてみたら良く分りますちや。どれだけ使うても細い先端部分は最初と全く変わらず鋭角なまま、あまり目立つ事はないですけんど竹楊枝は一度使いだしたら止められませんぜよ。


さて、魚の串焼きに戻りますが、囲炉裏などで焼き魚を見ることがあったら、もしかしたらあの時の竹串職人さんのものやろうか?ちっくと思い出してもらいたいがです。


「新しい自分が見たいのだ-仕事する」

のし竹花入れ


飯塚琅かん斎は竹の世界では知らない人がいない高名な作家ぞね。竹細工の世界観を変えた作り手と言われちょりますが、その作品は観る者の心を鷲づかみにして離さない圧倒的な凄みがあるがです。亡くなって50年以上が経っても尚、その産み出された竹細工に魅入られてしまうのは、それが誰かに使われる事を前提とした生活の中で活かされる竹やきですろうか?竹の美しさの向こうに人の暮らしが感じられるきやろうか?


そんな飯塚琅かん斎が創作した竹は、まっこと目を見張るようなものばっかりですけんど、中でも一度見たら忘れられない作品がいくつかあるがです。その一つに一本の竹をのして平たくしちょってから、半分に折り畳んだようなシンプルでいて竹の本質にグッと迫るようなしびれる花入れがあったがです。


のし竹花籠


竹の「顔」を大事にされた作家の方やったがやにゃあ。前に飯塚琅かん斎の作品展を拝見したときに自分が改めて感じた事ぞね。竹は表皮を剥ぎ細い竹ひごにして緻密な編み込みをしていく技は、もちろん熟練の技術ですけんど竹を幅広くそのままに、竹肌や竹節を活かして自然の竹の表情を最大限に見せる細工は、さらに高度な技術と何より感性が問われるように思うちょります。


これはエイにゃあ、手にとってみたいにゃあ...飾りたいにゃあ...。言葉を失うて、ただただ魅入るばっかりでしたけんど、ある時、京都にある河井寛次郎記念館に行った時、同じような花入れが飾られちょって、まっこと驚いたがです。記念館の方に聞いてみましたけんど河井寛次郎が生前集めたものか、一人娘であった河井須也子さんが手に入れられたものなのか、ハッキリした事は分からないとの事やったがですが、あれだけの素晴らしい陶芸家の方の目にもとまった竹やとしたら、そんな想像をするだけで、まっこと嬉しゅうなってくるがです。


実は河井寛次郎を知ったキッカケは焼き物ではなくて「いのちの窓」という随筆やったがです。その中での一文が心から離れず、焼き物など分らんがですが、モノ作りにどこか通じる事があるはず。そう思うて遠く記念館のある京都まで足を運びましたけんど、やっぱり、何かが呼んでくれよったのかも知れませんぞね。


随筆の中の一文とは「新しい自分が見たいのだ-仕事する」なんとエイ言葉やろうか。その後、運良く手にする事ができた白竹のし竹花入れを見る度、この寛次郎の文章を思い出すがぜよ。


ええっ?自分が手にしちゅう作品ですか?いえいえ、もちろんこの花入れは飯塚琅かん斎のものではないがぞね。他の作り手のオマージュではないですろうか?すばらしい出来映えで、こじゃんと気に入っちょりますぜよ。


箒屋さんの思い出

虎竹林


その箒屋さんとは最初は東京のデパート催事売り場で顔を合わせたがです。「職人展」という全国から職人さんが集まって地方の職人技を披露しながら、作られている商品を展示、販売するという企画で、何十社という会社や工房が集まる中で、どういう理由か、いつもその箒屋さんとは近くのコマに割り当てられていました。


百貨店の売り場には波があってお客様がほとんどおられない、かなり余裕のある時間帯があったがですちや。そんな時、働きはじめたばかりの自分は良くその箒屋さんの所に行って、黙々と箒に向き合う職人さんの仕事ぶりを拝見させてもらいよったがです。自分達が催事に行く事をやめてからは、箒屋さんとは竹材を送らせていただく他は会う機会もなく、風の便りに職人さんも仕事をやめられたと聞き、竹の仕事と同様に昔ながらの箒作りも今の世の中では、続けていく事はなかなかに大変やにゃあとずっと思いよりました。


虎竹の里の山道


そんなある日、一人の女性から連絡が来たがぞね。祖父の跡を継いで箒の技術を教わり職人としてやっていかれゆう、そんなお話を聞いて、こじゃんと勇気を頂いた覚えがあるがです。あれからも随分と時間が経ちました。箒職人さんのお孫さんにあたる彼女が虎竹の里にやって来られて、日本唯一の竹林や、虎竹、黒竹を矯め直す職人さんをご覧いただけた事はまっことエイ機会やったちや、嬉しいことやちや。


矯め職人


元々は祖父同士が竹を通した交流があったがです。こうして世代が変わっても技が伝承され続いていきゆう事には心が躍るぜよ。「祖父の背中を追いかけています」思いがけず自分と同じ言葉を言われた箒職人さん。かっては一大産地だった地域の伝統の仕事は、まるで風前の灯火のようにも言われる事もありますけんど、その涙を流す熱い志があったら、きっと守っていけますろう。作務衣の寡黙な後ろ姿は、いつでもずっと見てくれゆう。それは自分も、いつも感じちゅう事ですぞね。


竹職人のストレートとカーブ

竹皿


それにしても最近の日本人野球選手の世界での活躍は素晴らしいですちや。大リーグ言うたら自分の時代には巨人の星というアニメで「大リーグボール1号」など言う名前が出るくらいで、ちっくと掛け離れた夢の世界のような感じがあったように思うがです。けんど、それが今ではスポーツニュースなど見よったら、日本から行った選手が何人も活躍しゆう、特にピッチャーが目立つようぞね。それぞれのチームでエース級としてやりゆうき凄いぜよ。


ちょうど今は何と言うてもワールドカップが開催されよります。野球だけでなくてサッカーでも世界を舞台にプレイされる方が増えちょりますぞね。そして他のスポーツでもそうですけんど今の若い日本人選手は、まっこと海外に飛び出して、こじゃんと頑張りゆうぜよ。自分たちも負けずにやらなあイカンにゃあ。


けんど、まあ自分は小学校の頃からスポーツ言うたらやっぱり野球ですかにゃあ、子供の頃はそれしかなかったきに。そこで、野球では投手が色々な球種を投げますが、竹職人にも「ストレート」「カーブ」があるのをご存じですろうか?


竹盛り籠


剛速球のように音をたてて迫ってくるワケではないですけんど、直球のように真っ直ぐな形に編まれた竹皿もあれば、大きく曲がるスローカーブのような竹籠もあるがですぞね。


ストレートもカーブも使い方次第と言うのは野球の試合と同じ。毎日の生活でも真っ直ぐな竹籠が使い勝手のよい事もありますろうし、たまには変化をつけて曲がりのある籠で楽しみたい事もある。


お母様方、球種の多いピッチャーが投球で有利になるのと同じで、竹籠も種類があれば楽しい食卓に、今日も「勝ち星」を重ねる事ができますぞね。


フルーツ籠の甘美な魅力

磨き楕円盛り籠足付


磨かれた竹肌も清々しく美しい磨き楕円盛り籠足付は、初めて見た時から使い方を決めちょりました。上げ底になっていて通気性が抜群ですきに食卓に置くフルーツ籠ぞね。少しでも新鮮さを保ちたい果物には、この上げ底がエイように思うがです。サイズ的にもスーパーで見かけるバナナを一房、そして蜜柑やリンゴなどを数個だけ、果物はあまり買いすぎても古くなったら美味しくないがです。早めに食べきるだけ小まめに買う事を心がけちょります。その分だけを載せちょってから食卓を飾るとエイがです。


それにしても竹表皮を薄く削った「磨き」とは良く言うたものですちや。竹表皮の色目は均一ではありませんけんど、こうやって薄く表皮を削るだけで、まっこと磨かれたように、輝くような竹肌が表れてくるがです。


さらに、素晴らしいのが時間の経過とともに、この磨きの竹肌の色合いが飴色に深まり、もっと時間が経つと使い方や周りの環境などによって、それぞれの色合いの変化が楽しめる事ながです。赤茶けて渋くなった磨きの竹細工は、大好きな農家さんのフルーツのように甘美な魅力。これは、ちっくと手放せないがぞね。


高知の匠との出会い

尾崎さんと竹虎四代目


尾崎さんとの出会いは、まっこと感動的でもあり衝撃的でもあったがです。前々から高知から遠く鹿児島までやってきている竹細工職人さんの事は、名前だけですけんど知っちょりました。ところが、どこにおられるかも知らないし高知の方なら一度お会いしたいにゃあと思いながら機会もなかったのですが、ひょんな事から、この職人さんをご存じの方にお会いしたがぞね。


連れて行ってあげると言われて案内してもろうたがですが、車で少し走っては止まり、又少し走っては止まり...もう随分昔のことなので道路脇の景色も変わってしもうちゅうのかなあ?確かこの辺りのハズだけれど...そう言われる場所を道路から横に伸びる細い山道まで入っていってみては、キョロキョロとアチラコチラを見回すけんど何もなく、人に聞こうにも誰もいない道路脇、一度引き返して又同じ道を走ったりしてみよったのです。


竹職人


けんど、随分走ってきて、それらしき所は全くありません。最後に会ったのはもう何年も前の事なので、その職人さんの建物もなくなったか、何かかも知れない。そんな話しにもなって、あきらめちょったがです。


まあ縁がなかった言う事やにゃあ。自分も、しょうがないと思いながら帰りの挨拶もすませて、すっかり帰る気分になって車に乗り込み走りだして暫くいくと...ややっ!こんな所に目的の職人さんの工房らしき建物がありますちや。急いで車から降りて小走りで行ってみると、出迎えてくれたのは、会うのをあきらめかけちょった職人さんぜよ。


竹籠を持って


まっこと嬉しゅうになって大声で挨拶しましたぞね。けんど、おんちゃん凄いねえ、ここで仕事しゆうがやねえ。建物の裏側は切り立った崖があり、その下に広いスペースがあって、あれこれ話しをさせてもらうがぜよ。


しかし、まっこと良くぞここが分かったちや。そして、ようこそ、職人さんもおったものやちや。偶然が偶然を呼んで、又竹の神様が大事な人を繋いでくれた、そんな感謝の気持ちが湧いてくるがです。


麦わら帽子が似合う職人さん。身体は小さいけんど筋肉は現役そのまま。竹職人さんは、概ね元気ながはいつも身体を適度に動かし、手先をこじゃんと使いゆうきですろう。それにしたち高知を離れて40年と言うのに、やっぱり土佐の男ぞね。一緒に話し出したら、いきなりバリバリの高知弁になるがです。まるで高知で話しゆうみたいな錯覚になるがが嬉しいにゃあ。


竹職人


「恥ずかしいきに土佐弁は話したことが無いけんど」


いやいや、しっかりお国言葉ぜよ。コチラに来られちゅうのにも浅からぬ縁を思うがです。高知では竹細工をしゆう古老の方は竹ざるの事を、当たり前のように「サツマ」と呼びよります。昔は、どうしてやろうか?と思いよりましたが、これは、竹の技術が薩摩から伝わったいう証ですろう。そんな関係のある土地にこられて竹細工されゆうのも不思議ぞね。


竹ひご


何十年と竹の仕事をされてきた熟練の職人さんです。ところが竹の技は衰える事を知らんがやないろうか、ますます元気に腕も冴えちゅうぜよ。今日初めてお会いしましたけんど、青々と若々しい磨きの竹ヒゴが、そんな事を言いゆう気がするがです。


竹手付きかご


「これ、ひとつ持って帰りや...」


優しい笑顔で手渡してくれる高知の生まれの職人さん。虎竹の里から、こんなに遠く離れたところで何という心が温うなる贈り物ですろうか。おんちゃんの思いのこもった竹細工が40年ぶりに高知に帰る。そう思うたら竹の出会いとは面白いにゃあ。


虎竹の里にて


虎竹の里に帰ってきて、さっそく籠を見せに山に行っちょった。分っちゅう、分っちゅう。おまんらあ、皆の気持ちは良く分かるがぜよ。


竹籠、それぞれの底

籠底のアーチ


竹籠でこれは格好がエイにゃあと一番強烈に思うたのは、このカーブ。底部分の四隅だけを接地させて後は弓なりの曲線を描いちゅう。これは見た目にも美しいのは言うまでもないですけんど、傷みやすい底部分の接地面がないので、角部分だけ補強しておいたら、他のところには気を回さずとも長く使えるという生活者の知恵から生まれたろうか?いやいや、食器にせよ何にせよ籠の中にいれて毎日使うので、水切れや通気性を一番に考えたのではないですろうか?底が浮き上がるというのはそれだけで乾燥が全く違うてまるがです。


力竹


これは、もしかしたらどちらか一つという事ではなく、両方の理由のように思いますが、いずれにせよ底にアーチを作るにせよ、丈夫な力竹を入れてみるにせよ。使う人の声から竹籠が進化してきたというのが良く分る気がするがぞね。そして、昔の作り手はそれぞれの家庭の事情に合わせて、それぞれカスタマイズした竹細工をした方もおられると言うきに、まっこと素晴らしいがです。


来る日も来る日も少しでも早く、少しでも綺麗に、丈夫にと同じものを作り続けて技を極めてきた職人さんもおれば、お客様のあらゆる要望の応えながら技を磨いた職人さんもおるがやにゃあ。


籠丸足


底を丸く編んだ籠を作っている職人さんに、そのままでは少し安定感がないので、置いた時にもっと安定するよう丸竹で足を二本付けてもらえませんろうか?と急にお願いをさせていただくがです。「はい、はい」と二つ返事で足元にあった竹を切り細工を始めたかと思うたら、写真のように磨きをかけた本格的なものではないですが、あれよ、あれよという間に横編みの竹ヒゴにガッチリと固定された立派な足が出来あがったりする魔法みたいな手業を、これからも見続ける事ができるろうかにゃあ。ずっと見られるためにはどうしたらエイがやろうかにゃあ、まっこと竹の世界は退屈せんがですぞね。


手箕の仕事

手箕


竹製の手箕を使うた事のある方など最近では少ないのではないですろうか?箕の使い方としては農作業での穀類の選別がひとつ、そして、何かモノを運ぶというのが使い方としてありますぞね。自分が箕を使うたのは、もっぱら運ぶという仕事にばっかりやったにゃあ。小学校の頃、夏休みか何かやったか忘れましたけんど、イヤイヤ会社の仕事を手伝えと言われた時に、竹の端材や切り屑などを一杯いれてお腹に押し当てて運びましたけんど、思い起こしたら実は一番使うた時期というのは中学校の頃やったがです。


自分の母校である明徳中学は当時開校したばかりで、まだ高校もありませんでしたけんど、全寮制で、こじゃんと厳しくもあり、又楽しくもある学校でした。勉強する本校舎はありましたけんど毎日のように工事があって、どんどん新しい施設を作りよりました。そこでグランドなども自分たちで整地する機会も多かったがです。


この仕事で土や小石を運ぶのに登場するのが手箕。プラスチック製のものもありましたけど竹製の箕はしなりがあり、重たい石を入れて歩く時に、このしなりのお陰で持ちやすく使いやすかったがです。当時は竹製でも何でも別段何とも思うことはありませんでしたけんど、ふと気がついたら、いつの間にかグランドにある箕はすべて青い色をしたプラスチック製になっちょりました。雨ざらしでガンガン使う道具やったき耐久性が優先されたのかも知れませんが、ちっくと寂しさも感じたものながぞね。


国産の無骨な箕というのは、まっこと見かける事が少なくなりました。たまにあると嬉しゅうなって手にとってみるがです。お腹に当てて、こうやって運んだにゃあと同じポーズをしてみたら、高いコンクリート壁を作るのを、学年総出で手伝うたり、野球部のネットを張るポール立てたりした事も懐かしく思い出されるがです。


虎竹ひしぎゴミ箱のチラリズム

虎竹ひしぎゴミ箱


手頃な大きさで使い勝手の良さそうな新しい虎竹ひしぎゴミ箱が出来ましたぞね。なかなかの出来映えに思わず顔がゆるんでしまうがですが、今回のゴミ箱は何でも捨てられるように、中にプラスチック製のオトシを入れちょります。そのオトシをそのままだと、見た目はあまり格好のエイものではないので、ドーナツ型の蓋を用意してもろうちゅうがです。


虎竹ひしぎゴミ箱蓋


この蓋も実はちっくと、こだわりましたぞね。最初の試作段階では木製の板を黒くぬったものを製作頂いちょりました。これは、これで黒という色目も虎竹を引き締めてくれて、スマートな感じで決して悪くはなかったがですが、どうせなら竹にこだわりたいと思うて竹集成材で蓋を作ることにしたがです。色目も竹繊維をうっすら見えもらえるように、虎竹の色合いに合わせた茶系で仕上げちょります。


虎竹ひしぎ


けんど何というても一番のこだわりは、やはり本体の竹編み。幅広い虎竹のヒシギ編みは今まであまり見る事の無かった編み込みで、少し前に出来てきた虎竹ティッシュケースを見た時に幅広い竹ヒゴが虎竹独特の虎模様を美しく表現できちゅうように思いました。お客様の評判も結構良かったので今回のゴミ箱にも使うてもらう事にしたがぜよ。編み込んだヒシギの幅なども微妙に変化を持たせて、面白い表情になっちゅうのではないかと思うちょります。


虎竹ひしぎゴミ箱底


そして、最後に普通はあまり見る事のない底部分ですぞね。菊の花のように美しい編み込みが特徴ですけんど、せっかくのこの編み込みを普段も見たいにゃあと言いますので、いやいや、ちっくと考えてみとうせや、お洒落上手なジェントルマンは、スーツの裏地にこじゃんと凝ったりしますろう。


実はこの綺麗な底部分はスーツの裏地と同じやきに、チラリと見えたりする事がもしあったら、その瞬間にご覧になられた方は感激するがやないかにゃあ?そんなお話をしゆうがですぞね。


チンチク特大ざる

チンチク竹ざる


真竹でもない、淡竹でもない、孟宗竹でもない、チンチクという株立ちの竹で自分が編んだ特大のざるを持つ職人さん。まっこと目を見張るのはその大きさもありますけんど、作りも独特ぜよ、両端に使われちゅうのは桜皮と誇らしげに話されるがです。実際に長年使われてきた年期の入った歪みまでも、これこそ実際に使われゆう竹細工だけの持つ力強さ、たくましさ、これは何と格好のエイ竹ざるやろうか!?


そう言うたら、この辺りには株立ちの竹が多かったにゃあ。正式な名称を鳳来竹(ほうらいちく)と言うチンチクは土用竹とも呼ばれよります。これは普通は春にでる筍が夏に生えるからやそうですぞね。株立ちの竹は南方系と言われるだけあって温かく水の豊富な場所が好きながやろうか?そんな風に思うてしまうほど高知でも見かける事があれば、決まって日当たりのエイ川縁などが多かったように思うがです。これは、他の竹のように地下茎が伸びていかないので、堤防の浸食防止にも多く植えられた事があるようですぞね。家の周りの防風林としても株立ちの竹は多用されちょりました。隣の土地に茎が伸びないので境界の役割にもなってきたようながです。


カズラの縁巻


そんな、ちっくと変わった竹を使うた竹細工を拝見できるチャンスは自分でもそうそうありませんぜよ。詳しく見せてもらう事にしたがです。縁はカズラで縛って留めちょりますが、かなり傷みもある。けんど無骨な魅力にあふれた仕事熱心な竹ざるです。あれこれ見せてもらいゆう内に時間を忘れてしまいそうちや。


気持ちのエイ、風の吹き抜ける木陰で、職人さんのモノ作りの面白い話しが止まりませんぞね。だいたい職人さんには二種類の方がおられるがぜよ。自分の仕事に向き合い続け他の人をあまり寄せ付けないタイプと、自分の仕事を人に開けっぴろげに話してくれるタイプ。この竹職人さんは、どうやら後者のタイプぜよ。


チンチク(蓬莱竹)竹ざる


とうとう西日が傾きかけて名残惜しく振り返ると竹ざるが黄金色に輝きよった。豊かな実りを連想させてくれて思わず笑みがこぼれるぜよ。ずっと農作業を助けてきた竹ざるは今日も畑で一緒に働きゆうろうか、明日も明後日も、今までそうやったようにずっと使われ続けていくがですろう。


鋸の思い出

弦架鋸


弦架鋸(つるかけのこぎり)とも呼ばれる弓鋸ですぞね。竹工場には小さい頃からこのような形の鋸ばかりやったですので、鋸と言えば、一般的な大工さんが太い柱を切るような長柄のノコギリではなく、まずこの竹鋸鋸しか思いうかばんかったがです。


けんど、この鋸を見かける度に思い出しますちや。あのリズミカルな「目打ち」の音と動作、虎竹は表皮の虎模様が一番大切なので、竹枝を取り除く時にこの表皮が剥がれないように目打ちをしていくがです。目打ちは、目払いと違うて手間がかかる作業ぞね。昔はこの仕事専門のおばちゃんがおって座布団に座り、切り込みの入った木の道具に竹をのせてはジッージッーと二回切り込みを入れたらトントンッと、弓になった鋸の背中で叩いて竹節をはじき飛ばしていくがぜよ。本当に小さな竹の節の根元部分だけを取りのぞきますけんど、丸一日やりよったら、あたり一面が節だらけ。


「ボクは、こんどから学校やねえ」
「楽しみやねえ」


おばちゃんの話し声は今でも聞こえて来そうやちや。


竹工場に夕方のサイレンが鳴り響く頃、使い込んで先の短くなった竹箒で集められた竹節の根元部分は小山のよう、これを集めてから明日の朝一番に捨てに行くリヤカーに積まれるがぜよ。ザザーーーーーーーッ!小柄な、おばちゃんが手箕で運んでいく量の多さに今日もこじゃんと頑張ったがやにゃあと子供心に思いよった。隣で祖父の愛犬アトマが、ちょこんと座ってハーハー言いよったがです。


淡竹(はちく)の椀籠

淡竹椀籠


日本のの種類は皆様が思うよりもずっと多くて600種類を超えちょります。けんどその中でも一般的の方が「竹」と指さして呼ばれるものものはだいたい決まっちょって、孟宗竹、真竹、淡竹(はちく)の3つながです。そして、その中でも竹籠や竹ざるなどに代表される、いわゆる竹細工に使われる事の多い竹が真竹ぞね。


竹なら何でも同じと思うちょったら実は大間違いで、竹の種類により扱いやすさが全く違うてきますので製作効率が全然違います。粘りがあり、節間が長く扱いやすい真竹は竹細工の優等生と言うてもエイかも知れませんちや。湯抜きをして天日に晒す事から白竹とも晒竹(さらしたけ)とも呼ぶ竹も、真竹を加工して白い色合いに製竹したものながです。


ところが日本は狭いようで、やっぱり広いがぜよ。真竹ばっかりではなくて淡竹でもこんな綺麗な椀籠が作られよりますちや。椀籠も、ちっくと昔やったら全国各地で編まれよった籠。どこの家庭にも一つや二つはあった生活道具ですきに、当然形が良く似ちょります竹虎にも同じような形の椀籠があって、今でもボツボツ編まれている籠のひとつちや。


白竹六ツ目かご


虎竹も淡竹の仲間ではあるがですが、油抜きをして独特の虎模様を活かした竹製品にされます。同じ淡竹でも、青竹細工のように竹そのままで編まれた、しかも、これだけ完成度の高い籠というのは珍しいぜよ。自分などからしたら、不思議な気持ちになるくらいながです。


そこで、どうもこの淡竹の椀籠はずっと手元に置いて日々眺めよりましたが、自分の机の横でサイドテーブル代わりに使いよります。飴色になった六ツ目籠の何の気なしに載せてみたがです。そしたら、なんと誂えたようにジャストサイズ!粗い六ツ目からは細いペンなどはスリ落ちよったかですが、この椀籠なら大丈夫という事で、しばらく載せて使いよります。白竹が長い間使いゆうので深い飴色になっちゅう六ツ目籠に、淡竹の椀籠の取り合わせとは何と贅沢な事ですろうか。まあ、これが竹屋の特権ぞね、まっこと竹に囲まれちゅう生活ちや。


感動の竹網代丸盆

竹網代丸盆


編組(へんそ)細工と言う言葉はあまり馴染みがないかも知れませんけんど、文字通り「編み」「組み」される細工の事をさしちょります。竹細工では丸い竹を割って竹ヒゴに取り竹編みしていきますが、その編組の技法は例えば竹の種類から、あるいは使用目的、耐久性からまた美観の面からも古来様々な方法が試されてきたと思います。そして、ベースとなる竹編みの種類だけでも100種類を数え、全く新しい編み方は無いのではないかと言われちゅうほどながです。


良く目にされる編み方のひとつに網代(あじろ)編みがあります。編み目を開けて風通しのよく編まれる四ツ目等の技法と対照的に、ギッシリと編み込んで隙間の編み目が特徴的でこじゃんと(とても)細かい竹ヒゴを使うた細工などは、その編み込みが芸術作品のようにも思えてくる程のものもありますぞね。


網代編み


この竹網代の丸盆は昔の名工が編まれたものの一つです。竹ヒゴは、それ程までも細くもないし編み込み自体は単調な作りですが、この丸盆から発する強いオーラの秘密は、この偉大なる単調さですろうか。


同じヒゴの厚み、幅、それを同じように繰り返し、繰り返し、来る日も来る日も繰り返して到達した職人の迫力を感じますぞね。決して美しいものを意図して編まれたものではなく、少しでも、早く、少しでも多くと日々、師匠とあるいは弟子仲間と競いあう鍛錬の中で技に磨きがかけられ気が付いたら、これが、人の手によっての造作かと目を見張るような竹になっちゃある。そんな職人業が少なくなった現代やきこそ本物に出会うた時の感動は、こじゃんと大きいがです。


最高の竹林ドライブ

竹根刃物


を使うて仕事されゆう方はどんな方やろうか?普通に思い浮かべて頂きましたら、竹籠や竹ざるを編む竹細工や竹工芸をされている方など考えられるかも知れませんけんど、もちろん、それだけではないがです。竹は今でこそ十分に活用されているとは言い難いですが、かってほんの数十年前までは竹根から竹葉まで捨てるところがない程利用され、様々な加工がされて仕事にも毎日の生活の中にも使われてきちょったがですぞね。


たとえば近年になって竹繊維なども改めて開発されましたので、新しい技術のように感じられちゅう方も多いと思いますが、実は繊維にしろ、紙にしろ、元々ずっと前より竹から作られていたものぜよ。そう考えたら家具等に見られる竹の集成材なども含めて竹林に生える竹の形を、すっかり無くした竹製品も、こじゃんと多くあるという事ながです。


竹根ドアノブ


なので竹に関わる方は決して多くはないですがおられて、そして竹を伐る山の職人さんであっても、また筍農家の方でも、竹繊維やパルプなど新素材として竹に関わる方たちでも、皆様から竹に対する深い愛情をいつも感じちょります。毎日愛用する刃物の柄に竹根をあしらうのは思いつきますが、こちらのお宅ではドアを開閉する持ち手にまで竹根を使うちょります。初めて拝見した時には何度も持ってみてはその持ち心地の良さに、ウンウン感激したがですぞね。


竹根持ち手


しかし、けんど驚くのはまだ早かったがです。車に乗せて頂こうと、開いたドアから乗り込む時に「ややっ......!!!」手に伝わるこの感触は、間違いないぜよ、シートに座って見てみたらやっぱりまっこと目がまん丸やちや、開いた口がふさがらんかった。


なんと、車の中の持ち手にも竹根が使われちゅう。金属製のフレームに自然の竹根は予想を裏切って雰囲気バッチリぜよ。これは格好がエイが違う!まさに、竹の仕事師の車やと感無量の思いで乗っちょったら車は未舗装の山道へ、ほどなく辺り一面は竹ばかりやき。竹根の持ち手の車で、竹林の続く曲がりくねった細い道を行くがちや。こんな最高のドライブはないがぜよ。


ドイツから虎竹の里へ

虎竹林、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


ドイツから来られたカールハインツさん虎竹の里にお越しになられた日は、太陽の日差しが淡く見える程度の薄曇りやった。カンカン照りの高知は既に真夏の日差しのようですきに、それほど暑くもない、ぼっちり(ちょうど)の天気の日やったかです。けんど、それでも蒸し蒸しと汗ばむような空気の中を、急で細い山道を息を上げながら登っていきますぞね。


「こりゃあ、気持ちがエイが違うぜよ~!」


思わず声を上げたくなるような竹林を吹き抜けてくる風、山の登り口までとは全く違う心地よい涼しさに包まれて終始にこやかな表情のカールハインツさんが更にニコニコしよります。カールハインツさんは、お仕事で観葉植物としての竹を扱いよって、その関係で、この日本唯一の虎竹の山に来られたがですぞね。ヨーロッパやアメリカでは竹が少なく、竹を植栽として使うたり、観葉植物として鉢植えしたりする事は日本よりも盛んに行われているようながです。そういえば前にシアトルからも、竹の観葉植物専門の会社の方々が見学に来られた事もあったがです。


竹虎工場


けんど海外の方と言うても、さすがに竹を扱うお仕事をされよります。質問の内容をお聞きさせてもらうだけでも、竹への愛情や、竹の知識の深さほ感じるがです。まっこと日本の方でも、あまり気にしないような細かい質問にちっくと驚きながら、嬉しくもあるがぜよ。いつも近くで見ていて身近に感じる事のできる日本より、欧米の方が竹に対する関心は高く、また評価もしてくれちゅうようですにゃあ。


虎竹矯め直し


淡竹(はちく)の仲間の虎竹が、どうやって独特の虎模様を出すのか、曲がった竹が矯正されるのか、竹をガスバーナーで熱して真っ直ぐにしていく矯め直しの工程を説明させていただきます。


虎竹


ご自分で四ツ目垣など簡単な庭垣を作る事もあるというカールハインツさんに、日本の本格的な袖垣の工程もお話しようと竹を細かく割っていく巻き竹の説明もさせていただいたがです。けんど、やっぱり言葉というのは大事ですちや。通訳の方のお陰で、大体の事はお伝えできたように思いますけんど、専門的な事になってきますと大変な部分もあったかも知れません。まっこと難しい通訳をありがとうございました。


竹皮草履


ちょうど竹林では筍が生えている最中でしたので、こじゃんと良かったと思うがです。と言いますのも、種類は多少違うたりしちょりますが、筍が成長する過程で落ちる竹皮を見ていただきましたので、その竹皮を使うて作られる竹皮草履や竹皮スリッパをより深く理解してもらえたと思うがです。


竹は、根から稈から枝、葉、そして竹皮まですべてを利用しつくして、色々な手を加え生活の中に取り込んできちょります。けんど、現代ではもしかしたら竹皮ひとつ取っても、キッチリとイメージできる方は少ないかも知れませんちや。だから、ちょうど竹林で竹皮が剥がれそうな所を実際にご覧いただけたのは、タイミングもよかったにゃあと思うがです。


竹皮草履28センチという特大サイズはもともと作っていませんでした。海外への友人にプレゼントしたいから少し大きなモノができないか?実は、そんなお客様のお声で誕生した製品ながです。カールハインツさんにもドイツに帰ってご自宅でお使いいただけたいと竹皮草履をお持ち帰りいただきました。今頃は、もう使いゆう頃やろうか?足を入れる度に、あの日本唯一の虎竹の風を思い出してもらえたらこじゃんと嬉しいにゃあと思いゆうがです。


白竹ペン皿

白竹ペン皿


自分のデスク上には様々な竹製品を置いて使うちょります。竹根携帯ホルダーから始まりスマホスタンド、竹コースター、竹ペン立て、竹編み花籠、小物入れに使いゆう竹炭筒、竹ビアジョッキ、竹皿や竹籠。ペン立てに入れられちゅうのはサンプルの竹箸から竹トンボ、竹マドラー、竹ペーパーナイフ、竹カトラリー、竹尺、竹ペン、様々なタイプの竹耳かき。竹名刺ホルダーや六ツ目蓋付き籠、川漁師さんがエサ入れにしていた小さい魚籠。たまに気分転換に火をつける竹炭線香もあれば足元には青竹踏み。


まっこと自分の周りには竹ばっかりやけんど、机の上だけでも色々な竹細工であふれかえっちょります。けんど、そんな中でもキラリと他とは違う輝きを放ちゆうのが、比較的新しく、ここに仲間入りした白竹のペン皿ながですぞね。節間のつんだ竹を使うちゅうのが、この風合いの秘密ですろう。竹を縦割して並べて組んだだけの一見シンプルな作りながら、幅広い竹で、しっかりと接合部分を巻き上げられたあしらいと、竹節の表情が、このペン皿の雰囲気を作っちょります。


ペンを数本並べたり、ホッチキスなど細かい文具置きにしたり、そうそう携帯ホルダーがなかったらモバイルの定位置にしてもエイかも知れませんちや。けんど、とにかく気に入った竹が近くにある言うことはどんな時にも気持ちがエイものながです。