待ってくれよった魚籠

魚籠


一体何年間ここに置かれちょったがやろうか?薄暗い部屋で埃をかぶって待ってくれよったその魚籠は、汚れてはいるもののキラリと光るものがありよりましたぞね。編み方のこなれようから考えて、恐らくかっては沢山編まれちょったがですろう。けんど段々と求める人もいなくなり作ることのできる職人さんもいなくなり、こうやって忘れさられたようになっちゅうがです。


魚籠は昔から日本各地で当たり前のように作られて、そして、毎日のように使われてきた生活道具のひとつです。それぞれの土地にあわせて形が進化して、特徴のある籠があって知れば知るほど面白いものながですが、胴体までの太首のなで肩、底はかなりしっかりした力竹が四角形に入って、どっしりと安定感のある作りになっちょります。川面に揺られる舟の上で置いて使うのにも便利やったかも知れません。昔からある竹籠の素晴らしい所は形や素材に意味がある所ですろうか。今は本来の使い方をする事はあまり無いかも知れませんけんど、どこか存在感がある籠は花活けにでも使うたら、野の草花が、こじゃんと(とても)映えそうな気がするがです。


そう言えば、あの千利休が川漁をしていた漁師が腰に提げていた竹籠を見そめ、譲り受けて茶室で花入れとして使うたお話は有名です。実はその花籠が現代にも伝わる「桂川」と呼ばれゆう籠ながぞね。魚を採ることだけを考えて、まさか花入れに使われるとは、作った竹職人は思いもせんかったと思いますが魚籠として本物だったからこそ天下の茶人の目にもとまる力があったがと思うがです。


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