温かい土地を好む竹は、北国の雪深いところではあまり育つことがありません。東北や高山で見る事のできる竹は根曲竹やスズ竹など細い竹が多いがです。竹は毎年どんどん生える不思議な成長力をもった植物ですきに、身近で伐採しやすいと言う事だけでなく、伐採しても無くなることのないまっこと貴重な素材として昔から重宝されてきたと思います。
だから、もし身近に真竹などが豊富にあったならば、これほど山の天然素材が籠やざる等生活道具に使われる事はもしかしたら、なかったかも知れんと思うがです。けんど、北の寒さが竹細工の文化の代わりに、素晴らしい山の恵みの手仕事を育んで来られちょります。そのひとつがアケビ細工であり、山ぶどうであり、マタタビやヒロロ細工ながです。
腰籠として使われちょった古い山ぶどうの籠を手にいれた事があります。使い込まれたあまりに渋い光沢に、しばしうっとり魅入られてしもうて、どうしても手放す事はできなくなっちょりました。
知り合いの職人さんに持ち手を付けていただくと、まっこと、この先何十年でも使えそうな堅牢さ、今のように便利な素材のない時代やったとしたら、山仕事や農作業では、さぞ心強い相棒として活躍してきた事ですろう。
アケビや、山ぶどうの蔓は、その姿形から、山で見つけた時に、編み込みの素材として何か使えそうに思えるのですが、マタタビやヒロロ細工などは素材そのものは一見しても、それが、このような素晴らしい生活の籠として機能性と耐久性を持ち合わせた物だと言うことは分かりません。
つまり、先人の方が、何度か挑戦し、色々な素材を使い試していく中で選ばれて、毎日の生活や暮らしの中で鍛えられ、磨かれて現代まで残っちゅうがではないですろうか?そう考えただけでも先人の知恵や努力の恩恵に対して、謙虚な気持ちになりますし、感謝の念でいっぱいになりますちや。
日本は狭い島国やと言われますけんど、南北に長い国土には美しい四季があり、豊かな自然と、調和していく人の心があります。そんな中で生まれた天然素材の籠たちの表情は、自分が小さい頃から囲まれて育った竹と同じですぞね。やはり温かで優しいものばかりだと、つくづく感じるがです。
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