田邊竹雲齋歴代展

田邊竹雲齋歴代展


生活の道具だった竹は数知れぬ作り手により磨かれ鍛えられ、近代に入ってからは芸術工芸品と呼ばれるような竹の美を追究して作品を極める作家が生まれたがです。それが、早川尚古齋、田邊竹雲齋、飯塚琅かん齋、生野祥雲齋という四人の高名な竹芸士ながです。


何度か作品を拝見させていただく機会がありますが、それぞれ作家の方の作風を越えて感じるものがあるがです。それまで工芸の世界でも認められていなかった竹の美を極められた、まさに新時代を拓いた巨匠と呼ぶにふさわしい先人達の竹。今もって他の追随を許さない迫力に満ち溢れちゅうがです。


そして、その中でも唯一長い歴史を越えて技を伝承続けるのが、大阪は堺にある田邊家ながです。大正11年と言いますきに1922年に長堀高島屋美術部の第一回展を、初代田邊竹雲齋さんが開催されて以降二代目、三代目、四代目と代々大阪高島屋での個展を開催されゆうと言う事に、まっこと伝統の重みを感じずにおれんがです。


自分はいつも竹屋も四代目になったら竹の血が流れゆう、断ち切ろうと思うたち、出来んかったがぜよとお話しさせて頂く事がありますぞね。もちろん、格式ある田邊家とは比べようもありませんけんど、今年で竹材商創業120年の自分たちも竹一筋。四代目である田邊小竹さんの作品までが一堂に展示された歴代展からは、竹の革新を続けてきた田邊家の血と汗が受け継がれて一本の道になって続いちゅうように見えたがです。


田邊竹雲齋歴代展


田邊小竹さんはお若いですが海外でも、こじゃんと高く評価され、すでに大作家の仲間入りをされちゅうアーティストぜよ。そもそも自分との関わりは、田邊さんが虎竹を作品に多用されちょりましたきに、何度か作品やパフォーマンスを拝見させていただくうちに、作風や人柄に魅了されたのが始まりでしたけんど、まっこと自分と同じように田邊さんの世界に魅入られた方が多いがです。会場には竹に関わり、同じような志を持たれた皆様が自然と集い、こんな楽しい方々がおられる事に感謝したくなるような時間が過ぎていくがです。


田邊小竹さん


竹は知れば知るほど、ますます面白いと思いよります。日本は狭いようで南北に伸び、海に囲まれた長い海岸線、美しい四季があり、土地により気候風土が違い、成育する竹も違う、気の遠くなるような人々の営みの中で生活に密接に関係してきた道具だけに、それらの竹細工の進化は、竹の種類から編み方から使い方まですべてにおいて極められちょります。知らず知らずのうちに日本人の文化や思想にまで深く影響を与え続け、共に生きてきた竹を今一度考えて後世に伝えていける。実は、今が最後の時代とも言える大切な時かも知れんと思いゆうがです。


筍を食すたびに思う事

筍料理


春先から筍を食された方も多いのではないかと思うがです。自分も先に頂いた、こじゃんと美味しい筍料理を思い出しよりますが、この前、これはエイにゃあと思うた事があったがです。それは筍の産地で開催されよりました筍掘り体験でしたぞね。都会では、いえいえ最近では地方にお住まいでも土に親しむ機会は、そう多い事ではないかも知れません。そこで休日などを利用して、ご家族で筍掘りなど楽しまれゆうとの事やったがです。


さて、筍と言うたら収穫できる時期も3月から5月中旬までと一番長く、また太さも一番大きな孟宗竹がその代表選手ながですが、もともとは日本にあった竹ではなくて大陸から運ばれてきた品種ぞね。食品として、建材として、あらゆる生活道具として、こんなに大きく、成長が早く、便利な植物は他に無かったので今や日本全国津々浦々まで生えちょって、まるで在来種のようぜよ。車で遠くに出かけた時など、色々な場所に繁っているのを見る度に、昔から、どれだけ人の役に立ってきたかを思うがです。


筍を食用に美味しく頂けて、その竹皮は履物や包材として使い、稈(かん)は言うに及ばず、枝や葉や、そして根までも様々な用途に全く無駄なく使い尽くされてきた竹。そればかりか大きな川縁に竹林がずっと植えられているように、竹林自体も護岸壁として、あるいは防火壁としてあらゆる防災の役割を担ってきた竹。そして美しい竹林は、そこにいるだけで心が和み、何とも言えない清々しい気持ちになってくる。そうやって竹は日本の文化や思想にも深くかかわり、ずっと大きな影響を与えて続けて来たがです。美味しい筍を頂く度に、今は忘れちゅうだけの竹を日本にどうやったら思い出してもらえるのかを考えずにおられんがです。


虎竹葉のもうひとつの使い方

虎竹染めハンカチ


虎竹染めへのお問い合わせを頂いて、久しぶりに竹虎ゴールドを広げてみましたぜよ。「竹虎ゴールド」とはご存じないかと思いますのでご説明差し上げますが、実は虎竹葉は虎竹茶にする他に染め物としても使う事があり、虎竹染めハンカチを作っちょります。まっことお茶にして飲んだり、染め物にしたり、そもそも竹の葉なのに、色々と使うがやにゃあと思われるかも知れません。竹はこうやって根から稈、枝、葉まで全て使いきれる素晴らしい素材ながです。


さて、竹の葉は青々とした色合いをしちょりますが、これを染めに使うとどんな色になるかと言うと、これが自然素材ならではの優しい黄色い色合いに仕上がるがです。染めをお願いしている染め作家の先生の工房の庭には、先生の人柄やと本気に思うちょうがですが、いつ行っても心地良い爽やかな風が吹き抜けていきよります。最初はグレーのような鈍い色合いの虎竹染めが、風に泳ぐように、そよそよと棚引いているうちに淡く柔らかな黄金色とも思える染め色になってきます。この色合いの事を、あるお客様がご覧になられて「竹虎ゴールド」と呼んでくれたがです。


おっと、そう言うたら長い間欠品でご迷惑をおかけしちょります。虎竹座敷箒には、この虎竹染めした紐を使うちょりますぜよ。上品な虎竹染めの紐と、四国は徳島の天然藍染めの紐と二色を使うて仕上げた逸品ぞね。虎竹の柄にもこだわってしもうて本数もできずにお待ちいただきよりますが、次の箒草の収穫を待って、又製造して頂く予定で準備をしゆうがです。


待ってくれよった魚籠

魚籠


一体何年間ここに置かれちょったがやろうか?薄暗い部屋で埃をかぶって待ってくれよったその魚籠は、汚れてはいるもののキラリと光るものがありよりましたぞね。編み方のこなれようから考えて、恐らくかっては沢山編まれちょったがですろう。けんど段々と求める人もいなくなり作ることのできる職人さんもいなくなり、こうやって忘れさられたようになっちゅうがです。


魚籠は昔から日本各地で当たり前のように作られて、そして、毎日のように使われてきた生活道具のひとつです。それぞれの土地にあわせて形が進化して、特徴のある籠があって知れば知るほど面白いものながですが、胴体までの太首のなで肩、底はかなりしっかりした力竹が四角形に入って、どっしりと安定感のある作りになっちょります。川面に揺られる舟の上で置いて使うのにも便利やったかも知れません。昔からある竹籠の素晴らしい所は形や素材に意味がある所ですろうか。今は本来の使い方をする事はあまり無いかも知れませんけんど、どこか存在感がある籠は花活けにでも使うたら、野の草花が、こじゃんと(とても)映えそうな気がするがです。


そう言えば、あの千利休が川漁をしていた漁師が腰に提げていた竹籠を見そめ、譲り受けて茶室で花入れとして使うたお話は有名です。実はその花籠が現代にも伝わる「桂川」と呼ばれゆう籠ながぞね。魚を採ることだけを考えて、まさか花入れに使われるとは、作った竹職人は思いもせんかったと思いますが魚籠として本物だったからこそ天下の茶人の目にもとまる力があったがと思うがです。


草とり椅子が出来ましたぞね

草とり椅子


もともと農家さんで苗を選別する作業の時に、しゃがんだ姿勢で足腰に負担がかかるのを軽減したいと言うことで、竹編みの草とり椅子が考案されたがです。泥の中につけて使う事を考えたら、このざっくりした竹編みはまっこと機能的。丈夫な竹で編まれた座面にしても、竹ならではの柔らかさと、しなりがあって、なかなかのものながです。


今では農家さんというよりも一般のご家庭で庭の手入れ等に多用いただき、お問い合わせも少なくない竹細工のひとつではあるがですが。強度を保つために厚みのある竹ヒゴを使わねばらなず。作るのには竹編みの技術の他に結構腕力が必要となっちょります。特別大きな竹籠も最近では、すっかり出来なくなっていますが、同じ理由ながです、職人の高齢化が進むと共にだんだん力も弱くなり今までのような細工が出来なくなってきたがです。


そんな事でお問い合わせを頂きますものの、暫く品切れとなっちょりまして、ご迷惑をおかけしていた草取り椅子が、何とか、ようやっと出来上がってきましたぞね。暖かくなってきてご自宅などの庭にも、ちっくと目を離したらいつの間にか雑草が伸びている。そんな思いをされゆう方も多いがではないですろうか?これからの季節は陽射しも強くなりますぞね。庭仕事は休みながら楽しみながら、こんな昔ながらの先人の知恵の生きる竹細工も使いながらやっていただけたらと思うちょります。


手業、足業、工房の業

竹職人の手業


その職人さんは仕事を始める時には指に布を巻かれちょります。あまり見かける事がないですきに聞いてみたら、竹細工を習ったお父様が同じようにされていたそうながです。竹の扱いを教わる中で自然に身についた手業(てわざ)やにゃあ。こんな小さな所にも数十年の歴史を感じさせてもらえますので、伝統の竹の仕事と言うのは、つくづく面白いと思うがぜよ。


竹職人の足業


手業の次には足業ぞね、足の指に挟んで竹ヒゴを取る技法はよく拝見させて頂く機会がありますけんど、いつ見ても手と足と両方に神経を使いながらの手早い仕事はつい感心して見とれてしまうがです。どうですろうか?ずっと見ていたら足が手のように見えてきましたぞね。竹細工職人の足は、まっこと第二の手と言えるかも知れんちや。


さて、最後に工房の業ですけんど、座って仕事されゆう職人さんの、ずっと後ろの方に小さな小窓があるのがお分かりになりますろうか?


竹工房の小窓


実は、このような小窓は多くの職人さんの工房に用意されちょって、コチラの仕事場では引き戸になっちょりますが、場所によっては跳ね上げ式で職人さんが座ったまま手元のロープを引いて開閉できるように工夫されていたりして、小窓のような穴が開くという共通点を除いたら、方式も大きさも工房によりまちまちで、それぞれ味がありまますちや。


何のための小窓かと言いますと竹の仕事は、編み上がるものが、さほど大きくない竹ざるや竹籠だったとしても、こじゃんと長い竹を使いますので、そのサイズからは、ちょっと意外なくらい広い工房が必要やったするがです。けんど、どうしても限られたスペースで仕事をする場合、このような小窓から竹を出して使うがです。クルクル巻けるような細い竹ヒゴに取ってしまいまうと、竹細工はそれほどの場所は必要ありませんが、山から伐りだしてきた長い竹を割って、段々と細かい竹ヒゴにする際にはこのような小窓がどうしても必要になってくるがぜよ。


テレビ高知「7時チンまで」

テレビ高知「7時チンまで」藤崎アナウンサー


地元放送局のテレビ高知さんが取材に来てくれちょりましたぜよ。まっこと自分達は恵まれちゅうちや、ここにしか成育しない虎竹や、今年で120年にもなる社歴の中で守り続けてくれた、数えきれんほどの先人の皆様に感謝せんとイカンぜよ。こうやって高知のテレビ局さんや高知新聞社さん、高知で出版をされる雑誌社さんにいつも可愛がってもろうて色々取り上げて頂く機会があるがです。


今回のテレビ番組は春から新しく始まった毎週金曜日午後6時50分から7時まで、まさにゴールデンタイムと言われちょります少し前に登場する「7時チンまで」という番組ぞね。おっと、そう言うたら「チン」とは高知弁ですろうか?ああ、違いますろうか......全国どこでも「チン」と言うたら「そこまで」という意味は通じるかと思います。


テレビ高知「7時チンまで」取材


ちなみに「チン」と言う言葉には高知弁では「凄く仲良し」という意味もある言葉ながです。その言葉どおり、アナウンサーの藤崎さんはじめ、スタッフの皆さんは本当にフレンドリーに接して頂いて、和気あいあいと撮影は進んでいくがです。


テレビ高知岡田さん


さて、ところで今回こじゃんと(とても)嬉しい事がありましたちや、スタッフの中のお一人が何か見覚えのあるお方やと思いよったら、県外の支社に行かれちょって高知に帰って来られた岡田さん、何と15年ぶりの再会をさせてもらいましたぜよ。前にお越し頂いた時から言うと竹虎を取り巻く環境も随分と変わり、会社も様々な大きな波を乗り越え今日になっちょります。けんど、こうやって長い時を経てもひとつも変わる事のない虎竹の里の竹林で、変わる事なく社員の方とご一緒させていただけるがは、まっこと嬉しい事ながです。


虎竹の里の山道


竹林での撮影を終えた帰り道、スタッフの皆さんがワイワイ話しをされよります。一体どうしたがやろうか?行ってみたら、ちょうど今がシーズンとなっている虎竹の筍が話題になっちゅうがです。


「さっき、筍がキュッと伸びた」


カメラマンの方が、こう話されゆうがです。確かに筍は一日に120センチも伸びる事がある驚異的な成長力を持っちょります。雨後の竹の子の言葉もあるように、水分があればドンドンと神秘的とも言われるパワーを発揮するのは確か。そして、前日まで虎竹の里には強い雨が降りよりました。


けんど、見ている間に筍が伸びる...!?これは是非その瞬間をカメラに収めたい、そんな事でさすがテレビ局の皆さんです、カメラを設置して、本当に伸びるのか少し観察される事になったがぞね。


日本唯一虎竹の里の筍


時間があれば必ず成長する所は撮れると思うがです。実際、長時間撮影しちょって早送りで見ると、あれよ、あれよと言う間に筍が天を目指して真っ直ぐに伸びるのが分かります。けんど、この日はそんな時間がありませんでしたので、神秘の筍は確認はできなかったようながです。楽しい撮影クルーの話し声を聞きながら、竹林で筍の皮を脱ぎ捨て若竹になりつつある虎竹が、笑っているように見えたがです。


アケビ下駄

あけび下駄


下駄は高さのある歯下駄か、右近下駄か形が比較的シンプルなものです。素材が桐だったり杉だったり、あるいは仕上げで白木とか焼き磨きとか、ある程度の違いはあるものの、それほどの違いがあるわけではありません。けんど、下駄の表、つまり足をのせる部分には、まっこと色々な加工がされ少しでも履きやすいようにと、職人さんが試行錯誤されてきた生活道具ながやにゃあと思うがです。


竹虎で言うたら、もちろん真っ先に日本唯一の虎竹を張り付けた虎竹下駄や、熟練の竹皮職人さんに台に合わせて編み込んでもらった竹皮下駄などが思いうかびます。また、八割(やつわれ)と呼ばれる底の台に切れ目が入っちょって、それぞれのパーツに別れた形でソフトな歩き心地の下駄など昔の逸品を復刻させて、より歩きやすくしたものもあるがです。下駄の台には別の素材を張り付けるという他に、彫りを入れた下駄なども見かけた事がありますし、もう随分前の事ですけんど青森の職人さんに東北弁で寒い地方の手仕事について色々教えてもらった時に、山葡萄のツルをしっかり編み込んであしらった下駄を履かれていて、ええっ!?と驚いた事がありますぜよ。


そして、またこれも珍しいものではないかと思いますが、アケビ蔓を使うた下駄を拝見させてもらいましたぞね。アケビ細工と言うたら手提げ籠をまず思い出される方が多いのではないろうか?手提げ籠に良く使われちゅう蔓よりも細く、編み込みは緻密です。女性用しかないものですき履き心地を想像してみるがですが、足裏に細やかな蔓の刺激があって特に夏は最高ですろう。山葡萄の下駄といい、アケビの下駄といい、こんな個性派の下駄は、好きな方にはたまらないモノながです。


保坂紀夫さんの世界

保坂紀夫「変幻の竹」


保坂紀夫さんに初めてお会いさせていただいたのは27年くらい前の事やろうか。もしかしたら30年近く前になるかも知れませんぞね。それくらい前にお会いさせて頂いちゅうのに、その竹の独特の造形が強烈な印象となって今だに心に焼き付き、ビックリして声も出なかった事を今でもハッキリ覚えちょります。保坂さんご自身の、スマートで鋭い感性を感じさせる風貌そのものもずっと忘れる事ができずにおりましたきに、まっこと暫くぶりにお会いしたのでお歳は召されちょりますが、あの数十年前の雰囲気そのままで全然違和感がないがです。


ずっと思いよりました。あのインパクトのある竹の世界が、いつか自分の中でもっと違う受け止め方ができるようになったら、もう一度、あの世界に飛び込んでみたい。保坂さんとはあの時から一回もお会いさせてもろうちょりませんが、
だから、ずっと心に留めちょりましたし、何年か前にいただいたダイレクトメールもホルダーに入れたままやったがぜよ。


保坂紀夫さん竹の造形美術館


遂に改めて作品を拝見させていただく機会を頂戴しましたぞね。保坂さんに八ヶ岳にある竹の造形美術館にご案内いただきましたけんど、よくよく考えて見たら山梨県は初めて来たかも知れんちや。富士山を太平洋側からしか見た事がなく、実は反対側から見た富士山の方が美しいそうながですが、今回初めて見たような...。


保坂さんの竹アートは、形の面白さやアイデアの斬新さも素晴らしいけんど、その真価は暗闇の中、灯りがはいると更に際立つがぜよ。壁にこぼれる竹灯りは無数の蝶が舞うようながです。凄い世界観に引きづりこまれますちや。さらに別の作品では、いつもの竹林に自分がいるかのような。そんな錯覚すら覚えそうになって、ついつい前のめりになった灯りもありますぞね。


周りに竹細工があまり無かった事が、独自の竹を展開できている最大の理由だとお話されよりましたが、竹のクラフト作家の方が作られるようなしっかりした竹編みの技術は、九州などにも出かけていって習得されたそうながです。大作の竹オブジェを手がけられるのは、このような確かな技術の下地があってこそですろう。


竹文化のあまりない土地柄におられながらも、こうやって竹に魅了され、今度は竹で人を魅了されちょります。竹の奥深さを感じずにおれんがですが、この数十年、国内外の竹を扱う職人や作家の方々には、意識する、しないに関係なく、こじゃんと影響を与え続けている保坂紀夫さん。30年近く前に出会った衝撃を今回も、そっくりそのまま感じたがです。


セグロセキレイ

焼坂の山道


いつものように虎竹の里の山道を行くと、ほんのすぐ近くで鳥の鳴き声が聞こえるがです。野鳥の鳴き声と言うてもメジロ、ウグイスの他はツグミ、ホトトギス、キジ、キジバト、モズ...それくらいの声しか識別できませんけんど、あまり聞き慣れない声に、その方向に歩いていくがです。


実は、あまり話した事もありませんけんど、自分の特技の一つにウグイスの鳴き真似がありますぞね。けんど「ホーホケキョ!」という皆様がよくご存じの鳴き真似ではなく「ジュッ!ジュッ!......」という、かなり地味な声。ウグイスは華麗な歌声とは対照的に見た目も普段の鳴き声も結構地味ながぞね。最初は、どうしてもウグイスの声とは思えなかった程ながです。


鳥籠


何故、このような特技が身につくかと言うたら、小学校低学年まで山でばかり遊びよって、今は禁止されちゅうと思いますが昔はメジロやウグイスもコバンと呼ばれる竹ヒゴで出来た鳥籠で飼いよりました。山でこれらの小鳥を鳥モチで捕まえるがですけんど、それにはオトリが必要ながです。ところが、このオトリの鳥が思うように鳴かない事があって、オトリの鳥の代わり自分が鳴いて鳥達を集めるがです。だから自然とメジロやウグイスの鳴き真似が身につくがぜよ。


けんど、今思い出しよりましたら小さな頃には竹職人のおんちゃん達に、あちにこちらの山に連れて行ってもらう事も多かったですが、誰でも普通に鳴き真似して鳥を呼びよりましたにゃあ。竹伐りの仕事の途中で腰をおろして、小鳥と話すように口笛を吹きよった、他にコレという遊びのない田舎暮らしでは、たしなみの一つやったかも知れません。そうそう、中学の頃には明徳義塾の寮も周りは山やったですきに、小鳥の鳴き遊ぶ声がよく聞こえよりました。「今からウグイスを呼ぶきに」言うて鳴き真似したら、本当にすぐ近くまでやって来て、近くにおった友人たちが驚きよったにゃあ。


セグロセキレイ


おっと話しが随分とそれましたちや何の話しかと言うたら、その聞き慣れない小鳥の声ですけんど近くへ寄ってみたら白黒の鳥、知らない鳥やきに後で調べるとセグロセキレイではなかったかと思います。


実は前から身近に見かける小鳥の写真を撮ってみたかったがです。ただ、一眼レフを持ち歩く事はないですし、日頃は遠くを撮る必要がないので望遠レンズも持っちょりません。いつも小さなデジカメひとつ。


この日は前日の雨で谷間の水が増水しちょって、五月の若々しい緑の中に流れの音が、こじゃんと心地よく舗装もされちょらん山道に出来た陽だまりが、ずっと向こうまで続いちゅう、そんな美しい日やったです。ああ、こんな虎竹の里の空気をそのままお知らせしたいぜよ。そう思うてシャッター切りましたけんど...やっぱり、そんな期待した写真には成っちょりませんぞね。


自分を、こじゃんと好きになった日

竹虎四代目


皆様、突然ですけんど、ご自分の事は好きですろうか?実は、自分はあまり好きやなかったですぞね。そうやにゃあ今から30年ばあ前の事ですかにゃあ。全寮制の中学、高校から大阪の大学に進学して、10年ぶりに帰ってきたら高知県の中でも田舎と言われて何ちゃあない虎竹の里。夜になったら真っ暗でカエルの鳴き声だけが喧しいくらいに聞こえてくる。こんな竹しかない所に明日などがあるとは、その頃、どうしても信じられんかったがですちや。


仕事と言うたら、若い者は一人としておらん。おんちゃん、おばちゃんばっかりで、たまに、おおっ若手や!と言うたち、自分より30歳も上の職人さんぜ。毎日ボロボロの作業着で真っ黒うなって竹の中に埋もれちょった、都会の仕事が楽しそうで、面白そうで羨ましゅう思いよった。だいたい竹など今の時代に誰が求めよりますろうか?自分のやりゆう事が何の役に立っちゅうがやろうか?まっこと人は自分の道が見えずに迷いゆう時が一番辛いがですぞね。


この時知ったがです、人は楽をしたいがやないにゃあ。楽をしたいがやったら寝よったらエイけんど、寝よっても何ちゃあ楽しくも何ともない。反対に、しんどいだけやにき。そしたら何がしたいがやろうか?何をしたち人に負けてばっかり、何をやっても長続きしない。志も、夢も何ちゃあない自分が一体何がしたいのか、自分が一体誰なのか、ある時、教えてくれる人が現れましたぜよ。


それは、一人のお客様やったがです。


あの日は、泣いた。雨ならワイパーがありますけんど、涙は困るちや。泣きながら車を運転して、前が見えんほどやったがです。良く事故をせんかったもんですぞね。いや、いや、あの日事故はあったがぜよ。事故で弱い自分は死んだがぜよ。そして、竹虎四代目になった。


虎竹の里も、会社も、周りの人たちも何ちゃあ変わっちょらん。変わったのは自分ぞね。そしたら、何と幸せ者やと気がついたがです。イギリスからも取材に来る日本でここにしかない不思議な竹。100年前から続く自分達にしか出来ない仕事、生み出せない価値。あのお客様のように自分のする事で喜んでもらえる。仕事とは何やろうか?インターンシップで来られる学生さんや若い方には、いつも聞く質問ながです。


仕事とは何やろうか?それは、人に役立つ事、喜んでもらう事。


人の笑顔で自分が笑顔になる。自分を、こじゃんと好きになった、いつでも、どこでも、誰でも、人は変われる。自分は頭も悪いし、うまい事言えませんけんど、自分がそうやったきに分かりますぞね。


いつでも、どこでも、誰でも、人は変われる。そして、どこへでも行ける。


北の素晴らしい天然素材

アケビ細工


温かい土地を好む竹は、北国の雪深いところではあまり育つことがありません。東北や高山で見る事のできる竹は根曲竹やスズ竹など細い竹が多いがです。竹は毎年どんどん生える不思議な成長力をもった植物ですきに、身近で伐採しやすいと言う事だけでなく、伐採しても無くなることのないまっこと貴重な素材として昔から重宝されてきたと思います。


だから、もし身近に真竹などが豊富にあったならば、これほど山の天然素材が籠やざる等生活道具に使われる事はもしかしたら、なかったかも知れんと思うがです。けんど、北の寒さが竹細工の文化の代わりに、素晴らしい山の恵みの手仕事を育んで来られちょります。そのひとつがアケビ細工であり、山ぶどうであり、マタタビやヒロロ細工ながです。


山葡萄


腰籠として使われちょった古い山ぶどうの籠を手にいれた事があります。使い込まれたあまりに渋い光沢に、しばしうっとり魅入られてしもうて、どうしても手放す事はできなくなっちょりました。


知り合いの職人さんに持ち手を付けていただくと、まっこと、この先何十年でも使えそうな堅牢さ、今のように便利な素材のない時代やったとしたら、山仕事や農作業では、さぞ心強い相棒として活躍してきた事ですろう。


マタタビ細工


アケビや、山ぶどうの蔓は、その姿形から、山で見つけた時に、編み込みの素材として何か使えそうに思えるのですが、マタタビやヒロロ細工などは素材そのものは一見しても、それが、このような素晴らしい生活の籠として機能性と耐久性を持ち合わせた物だと言うことは分かりません。


ヒロロ細工


つまり、先人の方が、何度か挑戦し、色々な素材を使い試していく中で選ばれて、毎日の生活や暮らしの中で鍛えられ、磨かれて現代まで残っちゅうがではないですろうか?そう考えただけでも先人の知恵や努力の恩恵に対して、謙虚な気持ちになりますし、感謝の念でいっぱいになりますちや。


日本は狭い島国やと言われますけんど、南北に長い国土には美しい四季があり、豊かな自然と、調和していく人の心があります。そんな中で生まれた天然素材の籠たちの表情は、自分が小さい頃から囲まれて育った竹と同じですぞね。やはり温かで優しいものばかりだと、つくづく感じるがです。


竹を忘れた日本人

竹虎工場取材


自分達では当たり前と思うて、ついつい何も言わず過ごしてしまう事があるがです。言わなくても見れば分かってくれると思いよった事もありました。けんど、違うがぜよ、言わんと誰も知ってくれませんちや。知らないという事は、その価値が伝わらないという事ですろう。


「こんなにエイものやのに、どうして誰も買わんがやろうか?」


デパートに売り出しに行き始めた頃に都会の方が虎竹を見て、何の反応も示さないので不思議でしょうがなかったがです。イギリスのBBC放送が取材にくるような竹が他にもあるがやろうか?都会では竹はありふれちゅうきに別に関心がないがかにゃあ?東京や大阪には何でも売りよりますし本気でそう思うた事もあったがです。けんど違うちょった、今の日本人は竹を知らんだけやった。知らんというより、ちっくと忘れちゅうがぜよ。


竹虎工場見学


竹に枝がある事くらいは誰でも知っちょりますけんど、その枝をナタではらうと竹表皮も取れてしまいますぞね。虎竹は表皮の独特の虎模様が命やきに、ナタではなく、鋸で枝の付け根に切り込みを入れて丁寧に取っていきます。これを目払いと言うけんど、こんな自分が小さい頃からずっとやりゆう。いやいや、恐らく日本のあちこちに竹屋さんがあった昔なら結構普通の事でも今は誰もご存じではないがですぞね。袖垣にしても実は細く細く割った竹を孟宗竹の芯に巻き付けて作っちょります。竹の節を少しづつズラして模様にしてあるのですが、そこまで詳しくご覧になられる方はおられないがです。一本の竹を使うて製造されちゅうと思われる方がほとんどちや。


どうして一本の竹ではダメなのか、わざわざ手間のかかる工程が必要か、だから使う方にとって何のメリットがあるのか、山の職人さん含めてひとつの竹製品に関わっちゅう沢山の人の手の事をお話させてもろうたら「なるほど、この価格というのが分かる」と、少しづつお分かりいただけるようになり、もしかしたら竹の事をちっくとでも好きになってもらえるがではないかと思うちゅうがです。


一人暮らしの梅干しざる

梅干しざる編み目


たとえばお一人暮らしの方でも、ご自宅で手軽に梅干しや、野菜干しをしていただけるよう。手頃なサイズの竹ざるを作ってみたいと思っていたのです。自分達の暮らす高知県で言うたら街中はそうでもないですが、庭のある一軒家が普通です、広い敷地の農家さんも多いですので、たとえば大根やニンジンなどを手を広げたくらいの大きな竹笊で干している光景はそんなに珍しい事ではないがです。


けんど良く考えましたら都会ではマンション暮らしで、梅干しや野菜干しと言えばベランダなど限られた場所しかありませんろう。そこで、竹虎でもハーフサイズのエビラ籠なども作りましたが、それよりも、もっと身近で小振りでしっかりと目を詰めた網代編みの竹ザルにしたがです。


国産梅干しざる


昨年まであった国産竹ざるは、だいたい3.5キロ程度の梅干し用として皆様にご紹介させていただきよりました。こちらはサイズで言うたら60センチですので、やはり、お一人用とされるなら少し大きいと思うがです。


そこでサイズを半分の30センチで作ってみましたけんど、これは、ちっくと小さすぎて反対に使い勝手が悪そうと感じたがです。なので少し大きくした40センチの大きさ約2キロ用の梅干し笊ですぞね。10センチの違いが仕上げてみると全然違う使いやすそうなサイズ。まっこと週末だけ料理をされて少しだけ余った野菜を干し野菜にしたい、そんな時にも役立ちそうながです。


竹の帽子

竹帽子


そろそろ夏のような陽射しになってきましたぞね。日焼けを気にされる方には真夏よりも今頃の方が紫外線が多いので、意外と注意が必要やと聞いた事があります。冬の間ずっと壁に掛けてインテリアのようになっちょった竹帽子。いやいや、実はこれはこれで10個くらいズラリと並んじょりますので、壁飾りとしても気に入っちゅうがですが、やはり本領発揮は、これからの季節、通気性抜群の帽子として被るがぜよ。


そもそもこの竹帽子は数十年も前に師匠でもあったお父さんが、ご自分が出かける用に作られていたものやったそうながです。そう言うたら昔の白黒やセピア色になった写真を見よったら、着物姿や羽織袴に、こんな形の帽子を皆が被っちゅうがです。古い時代の流行やったがですろう。


帽子の竹骨


今では竹の帽子など知る人もほとんどおられず、天然素材のものと言うたら、麦わら帽子とかパナマハットなどやろうか?けんど、前の時代には竹はもっともっと人の暮らしに近うて、毎日の色々な生活道具として欠かんものやったきに、竹素材の帽子も普通にあったがではないかと思うがです。


別の竹細工職人さんの所に遊びに行った時に、面白いにゃあと目にとまった竹枠がありましたぞね。ちょうど頭にのせる王冠のように見えましたので聞いてみたら、確かこの竹枠も頭に被るために作られるものだったように記憶しちゅうがです。軽さ、強さ、しなやかさ、身近さ、加工のしやすさ、竹が広く多用されてきた竹ならではの特徴がきっと活かされた、美しい竹細工やったに違いないがぜよ。


幸せを贈る竹スプーン

竹スプーン


何でもヨーロッパの方では、スプーンは幸せをすくうと言うてラッキーアイテムやそうですぞね。毎日の食事に使うものですきに日本でもお箸を幸せの橋渡しと言うて、縁起物のようにされちゅう事と同じですろうか。


さて、スプーンと言うたら真っ先に思い出すのが、初めて自分で使うてみたいにゃあと心から思うた極上竹カレースプーンぞね。実際にこの竹スプーンを使いたいがために食事をカレーにしたくらいながです。金属は薄く加工できますので、残り少なくなったカレーをすくうのには正直言うて普通にある金属製のスプーンが機能的には優れちゅうと思います。お手入れも自然素材に比べると気を使う事もなく簡単ですろう。


けんど、竹スプーンの太い竹を削り出した、しっかりした質感と持ち心地、指に伝わる優しさ、軽やかさは木製とも違う竹独特のものながです。そして、何というても口に入れた時の口当たり、外での食事と言うより温かい家庭料理にこそ似合うのが極上竹スプーンながぜよ。


こうやって自分が使うのもエイですけんど、スプーンがそんなラッキーアイテムとされちゅうがやったら、大切な誰かへのちょっとした贈り物にも使いたくなりますろう。ほんで、せっかくギフトにされるがやったら、相手様のお名前やメッセージをスプーン刻印したらどうやろうか?極上カレースプーンは節付き、節なしをお選び頂けるようにしちょりますが、刻印サービスもお選びできるようにしちょりますぞね。誰かを喜ばせるのは、自分が喜ぶよりも嬉しいものです。笑顔を思うたら、自分がより笑顔になるものちや。


ポーラス竹炭と言う考え方

孟宗竹林


「ポーラス竹炭の作り方」というDVDを頂いたのは随分前の事ながです。放置竹林の有効活用を目的として焼かれる竹炭でもありますので、虎竹の里でも竹林管理の一つの手法として考えれたらと思うて、自分も社内でも観てみましたけんど、それっきりになっちょりました。


ポーラス竹炭火付け


大きな理由の一つは、そのユニークな焼き方。竹林の生い茂る中で間引きした竹を積み上げながらそまま火をつけるがです。竹は油分の非常に多い植物なので火力は木とは比べものになりません。最初は小さな火なのですが、またたく間に大きな炎となり、もうもうと煙が立ちのぼりますぜよ。まっこと知らない方がご覧になられたら山火事かと思うほどぜよ。


竹林の中の炎


ポーラス竹炭を提唱されるのは南伊豆で竹炭を焼かれよります山本剛さん。昔から筍の収穫などで竹を扱い、大きな孟宗竹を伐り倒した現場で焼かれて来たと言われます。その場で焼くので運ぶ手間もいらず合理的やにゃあ。そして、どれだれ大きな炎となっても竹というのは水分を沢山含んでいて、竹林自体の湿度も高く、今まで50年間もの間何度となくこうやって火を焚くけれど、竹林で青々としている竹に火が付いた事はないそうながです。


竹林でのポーラス竹炭焼き


前に頂いたDVDの中でも竹林の中の安全性の事は再三言われよりましたが、実際にこの目で見てみたくて山本さんの竹林にお伺いしたがぞね。けんど、こうやって遠くから見ても、この火の大きさ、ちっくと危ないように思うても不思議ではないがです。ポーラス竹炭を焼く時には、一応地元の消防署には届け出をされちゅうそうですが。それは、そのはずですろう。知らない人がこの炎や煙を見たら、きっと山火事と思うて大騒ぎになると思うがです。


竹林での水源確保


このポーラス竹炭の大事な条件に水がありますぞね。竹を焼き過ぎると灰しか残らないので、炎があがっている早い段階から水をかけて火を抑えていくがです。


ポーラス竹炭消火


まだまだ燃えさかりよって赤々となっている所に放水します。竹の火は強く高温ですので表面に水がかかった位では完全に消えませんぞね。温度が下がらないと後で又燃え出す事もあるので、クワで竹炭を寄せてきてかき混ぜてては水をかけ
また、かき混ぜては水をかけてして消火されよりました。この作業がしっかり出来ていないと竹炭の持つ熱で火がおこり、竹炭として残るどころから全て灰になってしまうそうながです。


ポーラス竹炭


燃えさかる火の端から少しづつ、少しづく竹炭が出来ていきます。同じ竹炭でも精錬度の高い飲料水や炊飯用の竹炭とは性能が全く異なり、このポーラス竹炭は「porus」つまり多孔質という言葉通り、穴が多く微生物の働きによって土壌改良剤として使える竹炭となるがです。農業用として、どんな作物を育てる場合にも有効やと言われます。を間伐したその場で集めて、竹炭に焼かれるのなら、山から重たい竹を運び出す労力と時間はかからないし、竹炭が畑で利用されるならほんの少しでも収入になるかも知れませんし、美味しい農作物を通して人のお役にたてる事ができる。すごい可能性を秘めた竹林管理の方策ではないかと思うがです。


山本さんに初めて会うてお話を聞いた時には、ポーラス竹炭は竹炭の焼き方や種類の事かと簡単に思いよりましたが、継続的に利用する事が可能な唯一の天然資源とも言われ、無尽蔵とも思える放置竹林を有効利用して美しい里山を残していく方法。その一つの可能性として生み出される竹炭を農業や生活に活用して循環させていく、そんな大きな営み、人の暮らし方、考え方そのものの事やと知ったがです。



神秘の筍

筍


竹は生活に必要な様々な竹細工から始まり建材、そして食用など、日本の暮らしになくてはならない貴重な資源やったと思いますが、そういう実用的な部分とは別に全国各地の神事に多用されちゅう事が注目される所ですぞね。


今でも新しい家を建てる前の宅地などの地鎮祭に、葉のついた竹を立てているのを見かける事があります。竹には清浄のシンボル、結界の役割があると何かで読んだことがあるがですが、昔の人々が竹に神秘的なものを感じた理由の一つは、現代の竹林でも何となく知る事ができると思うがです。


それが毎年どんどん生えてくる筍ぜよ。一年中、青々とした生命力あふれる竹から季節になったらどんどん伸びてくる筍。特に大きな孟宗竹の竹林などに入ると、ビックリするような太さの筍が緑の竹林の中で黒光りしながら天を目指し、あっと言う間に竹皮を脱ぎ捨てて竹になっていく。その成長力は、まさに驚愕の的、神秘的と言うほかはなかったと思うがぞね。


筍や竹の稈はもちろん、竹の葉、竹の小枝、竹の根、そして、この剥がれ落ちる竹の皮まであますところなく生活の中で利用できる自然の恵み。昔から人は竹に対して神秘的な畏敬の念を抱くととともに、驚くべき成長力の中で享受できる、この竹の恵みに深く感謝してきたがですろう。自分も、この竹皮を見ていたら毎日愛用しゆう竹皮草履の他では絶対にない、最高の履き心地を思い「ありがとう」の気持ちで一杯になるがです。


生き続ける竹文化

片口ざる


これだけ色々な素材の便利な道具がある世の中です。竹でなくても良い物や、耐久性や機能面で優れる物には、次々と取って変わられて竹は姿を消していきよります。


けんど、そんな中にあっても、やっぱり昔ながらの竹がエイ。そう言うて使い続けられゆうものがあるがです。先日、お問い合わせを頂いた大きな片口ざるもそんな一つやにゃあ。老舗煎餅屋さんでは、焼き上げた煎餅を冷ます工程があるそうですが、色々な道具がある中で、やはり竹に勝るものはないと創業以来ずっと修理をされながら竹笊が活躍し続けられよります。いよいよ年期の入った片口ざるがダメになるとの事で、同じ形で、同じ大きさで同じものをというご要望でしたきに、細かい部分は違うものの今回は何とかご満足いただける竹編みをご用意させていただいたがです。


野菜籠


これでもかと言うほど力竹を縦横に入れた竹籠があります。竹虎では野菜籠としてご紹介させて頂いちょりますが、この籠も昔から、あらゆる運送シーンで多用されてきた籠ですぞね。プラスチックなどの丈夫なカートもありそうなものですけんど、重たい荷物を入れて持ち運ぶ際には竹のしなやかさと強さがそれらの新素材にも勝ると言われて、その職場ではずっと使い続けられてきたがです。


竹は、これから消えていく運命にありますろうか?長く長く続いてきた日本の竹文化。日本の竹は世界一というお話は度々させてもらいよりますが。世界に誇る竹と竹細工が次の世代に残っていかんのはあまりに寂しいことぜよ。「竹は無限」と言われた大好きな職人さんがおられます。今でもこうやって生き続けてきた竹がある事を考えたら、まっこと、その方法も無限ではないですろうか。


所ジョージさんと過ごす世田谷ベースの休日

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、所ジョージさん、世田谷ベース


所ジョージさんが出て来られた時にはまっこと夢かと思うたぜよ。そりゃあ、そうちや、約束も何ちゃあせずに突然押しかけて行ったがです。東京は世田谷区の閑静な住宅街。まさか居られるとは思いもせんかったけんど、いやいや、日頃の行いやろうか?お会い出来て、まっこと幸運やったぞね。


そもそも3月に「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」というテレビ番組に取り上げていただいた事がキッカケやったがです。ああ、そう言うたらあの時も、たまたま放送局まで送り忘れちょった虎竹茶を届けに行って、そしたらせっかく来たのだったら他の出演者の皆様と一緒にスタジオ収録していきやと言われて、そこで所さんとお話させていただいたのが始まりぜよ。


番組の中では、いろいろとご紹介いだたきましたけんど、わざわざ高知まで2日間も取材にお越しいただいてメインで取り上げてもろうたのが空気清浄機「竹風」やったがです。その時はテレビのお陰もあって売り切れになってしもうちょりました。ちょうど竹製品の製造は春先からアレコレと忙しくなりますきに、大急ぎで製造して2ヶ月程度かかって、ようやく完成したがぞね。


竹の空気清浄機、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


まあ何ちゃあ、お届けする言うたち、宅急便さんにお願いしたらエイものながですが待ちに待って、ようやっと出来上がった竹の空気清浄機やし、こんな機会はもう二度とないろうき、何とか自分の手でお届けしたいにゃあと思うたがです。届け先の場所を確認してみたら、テレビで拝見した事がある、あの世田谷ベース言うところのようやったがです。所ジョージさんの趣味の車や遊び道具を詰め込んだオモチャ箱みたいで、おまけに畑まであって野菜を栽培されゆう面白そうな所ながですぜよ。


けんど、自分のような田舎ものにしたら全くの別世界です。所さんは普通から言うたら考えられないような忙しさですろう、恐らくご不在のハズやし、のこのこお届けに行ってもエイものやろうか?実際に持っていく段になって、そんな考えもよぎりましたちや。あれこれ考えだしたら、まっことキリがないがぜよ。そこで、考えても答えが出ん事は、やるしかない。いつものやり方と言うたら、いつもの自分のやり方やにゃあ。とにかく、持っていく事にしたがです。


ところが、はじめて行く所やし、道路事情も分かりませんので朝早めにスタートしたのはエイけんど、そしたら、休日のせいか思うたより渋滞もなく、迷うかもと思いよった心配をよそに意外に分かりやすく早く到着したがですちや。日曜日の朝、このあたりの街並はきれいで、静かやにゃあ。ピンポーンの音だけが聞こえては消える、聞こえては消える。何度かやっても何の応答もないきに、あきらめようと思うて空気清浄機を車に積み込んだ、その時...、


「ププッ!」車のクラクション、もしや!?


慌てて振り返ったら、そこにっ...いやいや、ただ車が鳴らして通りすぎただけやったぞね。あきらめて帰るか...。来る途中にクロネコヤマト便さんのトラックが停まっちょりました。あのドライバーさんに近くの営業所を聞いて荷物を預けたらどうやろうか?今回、車の運転をお願いした友人とそんな事も話しながら、ひとまず早めの食事に向かう事にしましたぞね。そもそも最初から所さんにお会いできるとは思うちょりませんので、箱の上には手紙を貼り付けちゅう。このまま伝票貼って送ることもできるろう、そう思いよったがです。


世田谷ベース前、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


さて、帰りの飛行機の時間もありますきに後一回だけ立ち寄らせてもろうて、ご不在やったら残念やけんど宅急便さんにお願いしようかにゃあ。そう思いながら世田谷ベースまで来たら思わず笑みがこぼれましたぜよ。まっことラッキーじゃあ!!!!!朝来た時には閉まっちょった窓が開いちゅうぞね。これは、誰か居られるにゃあ。


小走りに行ってピンポーン鳴らします。けんど何度やっても、やっぱり反応がないがです。おかしいにゃあと思うて耳をすましたら、興奮しちょって気がつかんかったけんど何やら音楽がガンガンかかっちゅう。開いた窓から漏れ聞こえよりますが建物の中は結構な音量のようやったがです。こりゃあ、ピンポンが聞こえちょらんにゃあ。


そこで、音が途切れた瞬間にピンポン鳴らす作戦に切り換え、けんど、一体何の音楽聴かれているのか?全然音が途切れないがです。何度か音が弱まった時に鳴らして、弱まった時に鳴らして、そうしよりましたら、ようやく中の方が気がついてくれました。


「門のとこに、誰かいるなあ!?」


門が高いので手だけ中の方に見えるように振って、


「おります!おります!怪しいものではないですきに、竹虎やきに!」


キュルキュルキュル......と電動門が開いたら、なんと、そこには所さん。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)、所ジョージさん、世田谷ベース


こうして無事と言うか、運良く空気清浄機をお届けできたがです。ラジオか何かの音かと思っていたのは所さんが作曲されよった音でした。歌声も聞こえていましたけんど、ご自身が歌われていたので、ドアホンの音が聞こえなかったそうながです。作曲いうたら神経を集中させてやる仕事ですろう。途中に邪魔が入ったらイヤなものですろうに、そんな素振りは微塵も見せる事もなく、まるで待っていてくれたかのような歓待に感動したがです。そうそう、「車を中に入れろよ」と声をかけてくれた時など、自分が行くのがを知っちょったかと思うた程ながです。


まっこと所さんはテレビの画面からも伝わってくる印象そのまま、気さくで自然体の方やちや。自分のような田舎者が気軽にお話できる方ではないと思いながらも、気兼ねなくお話させていただける不思議な雰囲気を持たれちょります。


世田谷ベースで所さんに入れて頂いたコーヒー


所さんが「ちょっと待ってろ」と言うて何とコーヒーを入れてくれたがぜよ。このコーヒーは旨かった、忘れられない味になった。何をやっても中途半端な自分がインターネットに取り組み、やっぱりダメな男は何をやってもダメやと周りの皆に馬鹿にされ、相手にされない中で何とか目標額を達成した十数年前の朝、父親が黙って入れてくれたコーヒーと同じ最高の一杯やったです。


ゴールデーンウィークの真っ最中に、世田谷ベースの温かい陽射しの中、椅子に座って過ごせるとは、なんと贅沢な時間やろうか、感謝しかないぜよ。


竹虎で購入の所ジョージさん愛用市場かご


「これ、竹虎で買って使ってるよ」持ってこられたのは市場かご。プロの料理人の方にも人気の軽くて丈夫な竹手提げ籠ぞね。使うほどに飴色になり風合いの深まるこの籠を、所さんは機能性が気に入って仕事に行く時などに使われゆうそうながです。さすが、本質を見られちゅうがぜよ。そして、いっつもジーンズにアメリカの車とかバイクとか、海外のものをセンスよくライフスタイルに取り入れられる印象のある方やのに、こうやって質の高い日本の竹編みを選ばれる事にやっぱり日本人には竹のDNAが入っちゅう事を改めて感じて、またまた親近感が湧いて、こじゃんと嬉しくなったがです。


けんど、せっくの籠に文字入れしちゃあるのは、どうしてですろうか?しかも「97」とは?まさか、97個目と言う事?いやいや、スズ竹市場籠は一生モノそんなに使えるハズはないきに。そう思うて聞いたらなんでも数字をアルファベットに当て字にされちゅうそうぜよ。「9=G」「7=T」つまり「G.T」でご自分のお名前を書かれちゅうとの事。この籠ですら自分色にしてしまうのが所さんながですろう。素晴らしく幸運な日曜日やったです、ありがとうございました。


人間国宝、生野祥雲斎

虎竹の里


生野祥雲斎さんは竹細工職人として人間国宝になられたはじめての方であり、別府竹細工の名を全国に轟かせた方と聞いちょります。重要無形文化財保持者(人間国宝)になられたのが1967年の事ですき、自分は、まだまだ小さくお会いさせて頂く事もなかったですが、その足跡をたどると日本の竹細工や竹に関わる全ての方に明るい希望の光と、竹の道しるべを示してくれたそんな松明のような方だったのではないかと思うちょります。


「自分がしていることは蔑まれた竹細工かもしれないが、工芸の域にまでどうにか向上させたのだ。」


人間国宝になられた時の、この言葉に竹一筋に生きて来られて、ご自身の編まれた竹籠がアメリカのスミソニアン博物館に170点以上も収蔵された事でも名工として知られた竹職人廣島一夫さんも、同じ竹の道を歩む者として、誇らしく思われたそうながです。けんど、生野祥雲斎さんに勇気を頂いたのは、きっと廣島さんだけではないですろう。おそらく日本全国の数えきれないほどの竹職人さんの心を奮い起こさせ、各地に根をはる「竹」にどれだけの明かりを灯したかと思うがぞね。


そして、誇らしく感じられたと言う廣島さんも、今度はご自身が松明のように燃え上がり周りを照らし、次の世代がその光を目指して歩みだし、歩みつづけていく。また、今度は更に若い世代がその後に続いていく。竹と人との関わりは、今までも、これらかも変化を続けていきますろう。竹の根がどこまでも伸びて毎年時期になったら、あちらこちらから筍が顔を出すように、新しい命を芽吹きながらずっと続いてきますろう。


それが先人の願いであり、祈りであると思うちょります。自分の祖父、竹虎二代目義治が会社の前におかれた石碑に刻む言葉も「竹の子の、また竹の子の、竹の子の子の子の末も茂るめでたさ」竹を繋いでいくがぜよ。


廣島一夫さんの竹

廣島一夫さん


現代の名工と言われた故・廣島一夫さんには、たった一度だけお目にかかった事があるがです。「あんた、何?四国から来たとね...」手渡した名刺を、じっと見つめよったかと思うと、こちらに向けていただいた優しい眼差しが印象的やったがです。


廣島さんが弟子入りしたのが1930年の事と言いますきに、なんと80年もの長きにわたって竹にかかわり竹と共に生きて来られた大先輩ぞね。長く続いて来た竹細工が、ご自分の世代で消えていくことは誰よりも寂しいと思われちょったがですろう。後に続く若い職人さんの指導に心を砕かれているように見えました。


先月の終わりやったと思いますが「かるい」と呼ばれる背負い籠のお話させていただきましたけんど、廣島さんも同じ宮崎県の日之影町でずっと竹細工職人として活躍され、作られた様々な籠はアメリカのスミソニアン博物館にも収蔵されちゅうという、まさに名人と呼ぶにふさわしい方ながです。


シタミカゴ


廣島さんの仕事ぶりは拝見することはできませんでしたが、残された作品はどれも竹への思いと、使い手への思いを感じる、美しさと丈夫さ、究極の竹細工のような竹編みばかりぜよ。特にこの日、目がとまったがはシタミカゴと言われる魚籠ぞね。肩の部分が角張った魚籠は他の地域でも見られるけんど、この優美な形、編み目の細やかさ、まっこと非の打ち所がないちや。見た目ばかりではないぞね、首の部分の竹輪や底部分、本体部分への丁寧な力竹の入り方は、実際に使うてはじめてその真価を発揮する本物の竹籠やと感じさせるがです。


廣島一夫さん愛用の道具


廣島さんとは、あまり多くを話せちょりません。けんど、後になって使われていた愛用の道具に「廣島」と刻印されたものを拝見させていただいた時、ご自分の長い竹の道に自信と誇りをもって歩まれてきたことを生前お会いした時と同じような控えめな笑顔で、しかし、はっきりと強い意志をもって伝えられたような気がしたがです。


竹の道への誇り。これは廣島さんの言葉として活字で残されちゅうものですが、竹職人として初めて人間国宝になられた生野祥雲斎(しょうのしゅううんさい)さんの名前が登場しちょります。同じ竹を扱う者として世間に認められた生野祥雲斎さんの活躍は励みにもなり、心から嬉しかった事ではないかと思うがです。


小さな本物の竹ざる

竹ざる


あれはいつの事やったろうか?急須の中にいれる竹籠をご注文いただいた事があったがです。金物でちょうどのサイズのものがあったがですが、どうしても金属のニオイが嫌で竹で編んで欲しいとの事やったぞね。たまたま竹帽子を何個か編んでもらいゆう時やったので、ついでに作って欲しい、つい気軽に頼んだがですが、慣れた細工なら手早くこなす熟練の職人さんやけんど、今まで全くやったことのない仕事には、思うより何倍もの時間がかかります。


竹籠は大き過ぎるものは力が必要で工程によっては一人では手に負えず、二人、三人ががりでないと編めないものもありますけんど、反対に特別小さいものは、竹の材料は少なくてすむものの細かいヒゴ取りから始まり編み込みが、まっこと大変ながぜよ。確か、この時には作ってはダメ、作ってはダメ...どうしても納得できるものが出来上がらずに5~6個も同じものを編んでもろうたがぞね。


竹笊


そんな難しい小さな竹籠ですけんど、ある時「これはっ!?」と心奪われるような小粋な籠に出会うた事があるがです。ただ小さいだけではなくて米研ぎ笊として使うても最高に使いやすそうな美しさ、縁巻きの丁寧さだけ見ても高度な技術を持たれちゅう凄い職人技やったがぜよ。その時には触る事もできず、ただ遠くから眺めて、美し出来映えにため息をついて、片思いのような気持ちで帰るしかなかったがですが、まっこと竹の神様の采配ですろうか?ひょんな事から、この竹笊を編まれゆう職人さんの工房にお邪魔する機会が巡ってきたがです。


手にした竹笊は、随分と前に編まれちょったようで、ホコリをかぶって汚れちゅうけんど水道の蛇口に持っていって水洗いしてから、トントン、と軽く縁で叩いて水切りしたら、おおっ!やっぱり本物ぜよ。時間の経過など全く関係ないようなオーラが籠から漂うてくるがです。


今年も限定、国産天然竹の快眠マット

国産天然竹の快眠マット


職人さんがお仕事を辞められるという事で、長い間続いてきた竹マットの製品が姿を消すかと思い非常に残念やったがです。以前なら快眠マットだけでなく、ソファ掛けや車の座席用、玄関マットなど、色々と製品のラインナップも豊富やったがです。


もう何年前の事ですろうか?変則的な間取りの室内用に別誂えの竹マットをあれこれ相談しながら製造したのが、まっことつい昨日の事のようながです。けんど、あのマットは喜んでもろうたにゃあ。部屋に敷き詰めた時には、アッと言うたちや、圧巻やったがぜよ。


そんなエイ時代を経て現代、やはり時代の波ですろうか。安価な海外からの製品が沢山ある中では大掛かりに製造する事もできず、いよいよ昨年、製造中止という事になりましたけんど、他に国産の竹マットなど、何処を探しても見あたりませんきに、何とか今回だけ言うて限定で昨夏は製造して頂いたがです。そして、ついに今年本当に最後ですと職人さんが話します。自分も、もうこれ以上は無理も言えませんちや。長い間お世話になり、ご夫婦で頑張ってこられた職人さん。心からお礼を申し上げたいがです。


さて、けんど国産天然竹の快眠マットは自分自身も愛用するファンのひとり。なにせ日本一暑い高知県、なくてはならない夏の快眠の秘密兵器ぜよ。冷えすぎるエアコンがあまり好きでないできすに、こんな昔ながらの方法で涼を求めゆうがですが、同じような方が、きっと居られるはず。そして、やはり国産のしっかりしたものを探しやあせんろうか?いやいや結構大掛かりな機械も使いますけんど手作り商品には変わりません。今年の夏は、ちっくと間に合わんかも知れませんけんど、次の夏に向けて何か方法がないかと思案中ながぞね。


孟宗竹の竹器

竹ワインクーラー


孟宗竹を使うたワインクーラーはお陰様で少しづつですけんど、毎年のように皆様にご紹介しつづけてられちゅう竹製品ですぞね。竹は中が空洞になっていて、その稈の所々に節があります。竹節を利用したらそのまま容器になるという便利な植物ながちや。


けんど、そう言うたら都合のエイ事ばっかりに聞こえる竹の器ですけんど、実はいろいろと問題もあるがです。その一番大きな難点が「割れ」ですちや。乾燥させた良い材料を選んで使うてはいるのですが、実際に使ったり保管しておくのは室内の空調が効いた室内。やはり長い使用の内には割れが発生するがです。


竹菓子器


孟宗竹を丸竹のまま使う製品には、水指しや菓子器もあります。竹節を切り取り蓋にしちゅう雰囲気はちっくと竹林の竹を思い出させるものがあって好きながぜよ。


丸竹を割れないようにするには、内側に発砲ウレタン樹脂をいれて固めてしまうような加工方法もあるようですけんど、内側の空洞を利用する竹器にはそのような事は当然できません。割れが入った時にはワインクーラーなどは特に使えなくなりますので、ご購入いただいた時期にもよりますけんど出来るだけ交換などの対応もさせていただきよります。丸竹のままの竹製品はそれ程は多い事はないがですが、割れる場合もあるという事を是非ご承知いただきたいと思うちょります。竹と「割れ」というのは竹を扱う者が昔から背負うてきた、まっこと永遠のテーマと言うてもエイがです。


そしたら、どうして割れるリスクを承知で、ずっと皆様に丸竹細工の商品をご紹介し続けゆうのか?それがやはり丸い竹の魅力。竹のそのものが、ご家庭にあること、キッチンにあること。そんな竹のある暮らしを知っていただきたいからに他なりませんぞね。


底の竹に注目、しびれる竹籠

竹籠


この竹籠には肩に掛ける幅広の紐が付いていてショルダーバックとして使えますぞね。手前が数年使うた籠で、奧のものは作ったばかりの物。青竹の竹ヒゴの表皮を薄く削る事を「磨き」と言うがですが、新しい竹の時には磨きをかけても表面は瑞々しい青さが残っちゅうがです。青竹の香りが、まっこと今にも漂ってきそうな感じですけんど、この青竹が経年変化で色が落ち着いてきて手前のような飴色になってくるがです。竹細工の良さは、この色合いの成長がひとつの魅力ではないかと思いますが、今回はさらに見ていただきたい所があって、それが底竹ぜよ。


この竹籠は底になるにしたがって狭まった逆三角形の形ですが、その狭くなった底部分を何と一本のしっかりした竹で補強しちょりますぞね。竹の節が籠の両端の部分にちょうどきているのが分かりますろうか?この節間の竹を選び、割って内側の竹の身の部分を丁寧に削ります。底にあてがうて両端の角の部分を折り曲げる工程では、初めの頃には何度も竹に割れが入っていたそうですぞね。削りを工夫して側面に差し込んで固定されちょります。


竹細工の一般的なイメージは細く取った竹ヒゴを使うて編むの基本ですろう。そんな編組(へんそ)細工に、ほとんど山にある竹そのものを合わせるとは、こんな大胆な竹の使い方があるがやにゃあ。まっこと新鮮で、面白く、竹の良さを十二分に活かしきって、さらに底の補強という機能的な部分も完成させちゃある。これは、しびれる竹籠ながです。


コミベーカリーさん竹炭クッキー

竹炭クッキー


竹炭パウダーを使うて焼き上げた竹炭クッキーが届きましたぞね。作られたのは高知で、こじゃんと有名なコミベーカリーさん。竹虎の社員の中にもファンがいっぱいおるがですが、特にチーズケーキはワンホールを一人で食べられると話しが出るくらい、まっこと美味しいケーキやパンを作られゆうがです。


そんな会社様が焼くクッキーですきに、なかなか味にこだわられちょりますぜよ。竹炭微粉末を入れすぎると食感がザラザラした感じが残ります。けんど少ないと色合いが今ひとつハッキリせんがです。そこでコミさんでは黒ごまを使うて綺麗な黒色をだしつつ、食味にもこだわった作りをされちゅうようですちや。


竹炭パウダーは大手メーカーさんが商品化した事があって、その後に一時の流行で終わるかと、ちっくと心配した事もありますけんどあれから数年経ってすっかり定着した感があるがです。食べる竹炭の事が話題になるたびに、炭窯の前に腰をおろし胃腸の調子が悪い時には炭をかじると話されよった、あの職人さんを思い出しますちや。昔から伝わってきちょった山の知恵が見直されちゅうようで、まっこと嬉しい気持ちですぞね。