煤竹(すすだけ)の事はもしかしたら、たまに聞く事もありますろうか?囲炉裏が暮らしの中心にあった昔だからこそ生まれた竹ながです。茅葺きの民家の屋根裏には竹が多用されちょりましたけんど、そんな中、百年というような長い時間、煙に燻されて自然にできた風合いの竹ぞね。だからガスや電気の行き渡った現代では減る一方ちや。煤竹箸や茶華道竹器に使われる銘竹として扱われてちょりますが、普通の生活では、あまり見る事も出来なくなっちゅう竹でもあるがです。
これからは希少価値は高まるばっかりの煤竹です。竹虎でも古民家からいただいて来たままの状態で保管しちゅうがですが、職人さんの工房に行って拝見させてもろうても、皆さん、すぐに何かに使う予定がなくともご自分の竹細工用として使うだけは大切に持たれちゅうようですぞね。
ところが煤竹は、ちくと厄介なところがありますちや。百年、百五十年前の竹も珍しくはないですので、長く経過する中で、本来の竹のもつ粘りや加工のしやすさが無くなってしもうて、いざ、使う段になって竹ヒゴに出来ず全く使えない事もあるがです。
さて、ここで拝見させて頂いた煤竹も、かなりの渋い色艶やにゃあ。これが一体どんな竹製品として新たな命を吹き込まれるのか。周りの作品を見回しながら考えたら、まっことワクワクしてくるがです。けんど、さらに感動を覚えるのはこの切り口ぞね。ナタで見事な程、勢いよく切られた切り口も煤で真っ黒やけんど、この竹が百年前としたらこの切り口を作った職人さんは百年前の方。美しい切り口を眺めながら百年前の仕事ぶりを想像しよったら、忙しく働く人達の荒々しい息づかいまで感じそうぜよ。
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