工房に足を踏み入れたら、これは嬉しい香りが漂いよります。青々とした編み上げられたばっかりの丸い深ざるが積み上げられちゅう。こんな力強い、迫力のある竹の仕事ぶりを今でも見られるとは...。けんど、ご縁やにゃあ、こんな遠くまで初めて来たけんど、まっこと、その甲斐がありましたちや。これは凄いですぞね、これほどとは思いもせんかったですちや。まっこと感激して、しばらく挨拶もできんかったぜよ。
年々少なくなる数少ない熟練の職人さん。手早く仕事をこなす本物の編み手の動きから目が離せませんちや。まったく無駄がなく心地よいリズムを刻みゆうかのようですぞね。はじめて寄せていただいた場所やのに不思議と馴染んでしもうて、思わずゆっくりしてしもうた竹細工の工房は、他の作業場と同じように結構広々としちゅうがです。
今年に伐り出して来た竹は工房の脇に積まれちょります。竹は何と淡竹(はちく)ですぞね。全くいないという事ではありませんけんど、普通の青物細工と言うたら、真竹で作る事がほとんどですろう。恐らく昔からの用途の違いや、高知でもそうですが、身近にある素材が淡竹やったのかも知れません。
一般的には真竹の方が、粘りやしなりがあり節間も長いので、竹細工には使いやすいと言われますけんど、不思議なものですちや。ずっと淡竹を使うて来られた職人さんは、誰に聞いても淡竹の方が扱いやすいと言われますし、いくら良い真竹があると見せても、その竹を使う事はないがです。
広い工房は長い竹を運びこみ、割って、籤にして、そして籠やザルに編み込んでいくためのものぞね。まず十字割棒とも十文字とも言われる十字型の木をはめて、竹を四つ割りにしよりましたが、破竹の勢いとは良く言うたもので、パンパンッと勢いよく割っていきます。
この作業場に入った時から何とも懐かしい気分になっちょりましたが、なるほど、ちっくと合点がいきましたぜよ。もしかしたら、ここの竹の香りのせいやったかも知れません。実は虎竹も淡竹ながです、そして虎竹の里に育つ竹でも全てに独特の虎模様が付く訳ではなく「白」と呼ばれるいわゆる二等品があって、この竹は油抜きなど製竹加工されず、壁竹や柄竹用に使われよったがです。小さい頃から、そんな竹の端材で遊びよりましたので、いつも香っていた他では感じる機会のない淡竹の香りに。祖父がおって、50人も60人もの地下足袋姿のおんちゃんや、頬被りをしたおばちゃん達が忙しそうに行き交う昔の竹虎の工場に知らない間に帰っちょったようながぜよ。
おっと、その長い竹ヒゴが宙を舞いゆうやいか。竹ヒゴをくねらしながら手早く仕上げていく竹ざる、やっぱりスピードは巧さやにゃあ。一日に何個編み上げるかを競いあい、磨かれた技は出来上がる籠そのものはもちろん職人さん自身が美しいぞね。出来るだけ大きな声で話しかけてみるけんど、自分の土佐弁が分かりづらいろうか?けんど何ちゃあない、ここでは言葉はいらんがぜよ。
「いつも、そんな格好か?」自分の作務衣姿を見ながら、そう言う職人さんの作務衣はやっぱり流石ぜよ、身体にしっくりと馴染んじゃある。作務衣しか持ってないですきに毎日これやけんど年期が違うにゃあ。そこそこ着こなしちゅうつもりやったけんど、こういう方に出会うたら、自分がまだまだやと教えられるがぞね。
ひとつの竹籠を持ってみましたちや。ズッシリと手に感じるのは竹が生しいからだけではないがです。そう言うたら竹虎の工場には、ちょうどこんな手箕があったにゃあ。竹の切れ端やら切りくずやら一杯いれて、重たいものやきにお腹にあててリヤカーに運んだのはもう何十年前の事やろうか?祖父とおるみたいやにゃあ。まっこと、そんな気がしてきたがです。さっきまで差し込みよった西日はもう見えなくなっちゅう。
「それ一つ持って帰り...。」
手にした竹と向き合うたままポツリとひとこと。ずっと昔にも、こんな事があったように思うがです。帰ってからずっと考えよりました。
砂利道を息をきらして駆けていくと、古びた引き戸のガラス越しに着物姿でタバコをくゆらす祖父。裸電球の下のコタツの上には真っ赤な包装紙。その中を開けたら、欲しかった大きな大きなブリキの消防車。ああ、あれはクリスマスの夜の事やったか。
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