宮崎県の日之影町は深い渓谷と高い山の連なる自然豊かな場所にあります。目の前で霧が強い風にあおられて流れて行きよります。そう思うたら、いきなり険しく真っ黒い山が姿を現す様に、まっこと近くに神話の古里、高千穂があるのも頷ける。何か神秘的なものを感じる土地でもあるように思うがです。
平地が少なく、急斜面の続く中での仕事や暮らしの中で、背負い籠も他の地域とは違う独特の形が生み出されちょります。この地方で「かるい」と呼ばれゆうがですが、側面から見ると逆三角形のような形をしていて、平地では自立しないものの、急斜面には置きやすく又、背負いやすい形ぞね。まっこと始めて見た時には、その独特な編み目と形にビックリしましたけんど、狭いようで広い日本です、同じ背中に担ぐという用途でも地域性に合わせて長い時間が籠を進化させてきたとも思いますので、それぞれ各地方の竹細工があって面白いがぜよ。
以前、熟練の職人さんの仕事をずっと拝見させて頂いた事がありました。手際よく見る見るうちに編み上げられていく、かるい。この横幅は、かっては全部違うちょったそうです。口の幅を背負う方の肩幅にあわせて作りよったからたど言われます。まっこと、それなら道が狭くとも、山深い場所でも歩きやすいろう。竹細工をその人、その人ように合わせて編みよったゆう事なのです。こじゃんと感動した覚えがあるがですが、おそらく、この話しは日之影だけでなく昔は日本のどこでも全く同じような事があったと思うかです。農家に竹職人さんが回ってきては泊まり込みで竹編みをしたり、壊れたザルや籠を修理をしたりする事は普通の事やったと聞きますので、その人や、その家庭、その仕事や生産する作物に合わせたそれぞれの要望に応じた竹細工を作りよったはずながぞね。
そうそう、そう言うたら前にもお話させていただいた事がありますが、自分の小さい頃には虎竹の里にも木工細工の職人さんが竹伐り職人さんの自宅の納屋に通うてきては、キンマと呼ばれる竹を運ぶためのソリを作りよりましたぞね。今ではそんな光景に出会う事もありませんので、小さい頃とは言うても、あんなモノ作りの文化を目にできた事、そして、現在でもそんな昔ながらの職人さんに自分がお会いできた事が幸せながです。
この背負いかごは、かって小学校のランドセル代わりにそれぞれの子供が背負って通学されていたと言います。こんな格好のエイ、かるいを背負い、沢山のチビッ子達が歩く姿を一度見たかったものながです。逆三角形になっちゃある、かるいの形は学校でも重宝されちょりました。ランドセルの中の教科書やノートを机に出した後は、教室の隅に重ねて置かれて場所をとることもなかったそうながです。
いやいやけんど、皆が同じ形のかるいやったら間違えそうやにゃあ。そんな思いよったら、実はお母さんがそれぞれ違う生地を使い、かるいの背負い紐を作ってくれちょったきに、自分の籠と、友達の籠を間違えることはなかったそうぞね。お母さんの愛情のこもった手作り紐と伝統の竹籠を毎日背負うて行けよった子供たち。まっこと、どれほど幸せな時代やったろうか?壁に掛かった古いかるいは何ちゃあ言うてくれませんれんど、優しく笑いかけてくれゆう気がしましたぜよ。