自分が小さい頃の竹職人さん達は幸せやったのかも知れません。当たり前のように同じ仕事が、同じように毎日あって知らず知らずのうちに自分自身の手業に磨きがかかり、手にするだけで心が熱くなってくるような匠の竹細工がありました。その道の達人の呼ばれる方が沢山おられたがです。
当たり前の日々はずっと前に過去のモノとなり、そういう意味では竹にとっても職人にとっても今は試練の時代ぜよ。竹は毎日の暮らしに溶け込んだ生活道具やったがです。だからボロボロになっても使い込まれた彼らの表情からは自信を感じます。日本の竹が、日本の竹である続けることは、これから、ますます簡単な事ではないかも知れんちや。
直径が50センチもある根曲竹洗濯籠。こんな大きさで、これだけの美しい端正な品を作りあげられるようになるのに一体どれだけの数をこなして来たがやろうか?熟練の職人さんは、とにかく手が早い。誰に聞いても弟子入りして競い合うたのは、まずスピードやと言います。一人前に扱われるように誰よりも早く工場に来て、誰よりも遅く残って編み上げる、その積み重ねが時間が立てば立つほど大きくなるがです。手仕事の良し悪しを見分ける方法は、こじゃんと簡単ですぞね。一番仕事の早い職人の籠が、一番綺麗で一番使いやすく長持ちする。
職人はスピード、手の早さはそのまま価格として現れます。このバランスが崩れると、生活道具としての竹は無くなっていき、山の竹林が無くなっていき、いずれは作り手自身をも必要とされなくなっていく...。それは自然な事だと思うちゅうがです。
まつやす 返信
何て趣のある脱衣籠なんでしょう…。
竹細工ってスピードが命だったのですね!知りませんでした。
竹虎四代目 返信
まつやす様
コメントありがとうございます!
素朴ですが美しい形をした、まっことエイ竹籠です。
スピードはそのまま価格に繋がります
竹籠は美術工芸品ではなく人の暮らしに寄り添うて
毎日使うていただく事にこそ真価があると思うちょりますので
とても大事な事やと思うちゅうがです。