使い込まれた竹製品というのは、まっことエイもんぞね。竹籠自体が物申すでは無いですけんど、しゃべり出しても不思議ではないような風合いになってくる。いえいえ、少なくともどんな風に生まれ育ち今になっちゅうのか籠自体が雄弁に物語る事はあるがぜよ。こんな普通の角籠は、小さい頃の飯台にありましたにゃあ。果物置いたり、お菓子のせたり、時には天ぷらを天こ盛りしちょった。トレー替わりにも使うたりして母が大事に数十年愛用してきたものながです。家族や来客の方たちの思い出が編み目に染みこんじゃあせんろうか?
「ねえ、あの時はどうやったがで?」
もしかしたら自分より、竹虎の事を知る物知りの竹籠かも知れんちや。おっと、そう言うて周りを見渡したら、ゾロゾロ、ゾロゾロ...物知りの籠たちのオンパレードぜよ。泣いて、笑うて、ケンカして、そりゃあ、そうですろう。昔話に話しが咲きよりますぞね。
ひっくり返して見てみるがぜよ。底には幅の広い力竹が三本も通って補強されちょります。長く使う間には、この力竹たちにも、こじゃんとお世話になったろう。こうやって並んだ力竹三兄弟にもお礼を言いとうなってきますちや。
日本の台所はいつからキッチンになり、こんな竹達が姿を消したがやろうか?何十年も後になってから、その人を偲ぶような、その家庭を物語れるような竹細工があったらエイににゃあ。竹の山では閑をもてあましちゃある事も多いけんど、考えたら竹が出来ることは、まだまだ一杯あるはずぜよ。
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