昔ながらの無骨な竹皮草履

竹皮草履


ワラジや草履は日本各地で作られよりましたので、今でも、極まれに他の地域で編まれた竹皮草履を手にする事もあるかです。考えてみたら不思議でも何でもなくて、靴が西洋から入ってくるまでは鼻緒の履物しかなかったので、実は、全国どこにあったとしても当然な事ながです。


それが、たまに昔ながらの草履を見つけると、宝物か何かを発見した探検者のように小躍りして喜びよります。日本のモノ作りが急激に無くなった証であるかも知れませんし、職人の伝統が途絶えたら、なかなか復刻する事が難しい、そんな事を物語りゆうのではないですろうか?


履物しか無かった時代には見た目より、機能性と作るスピードが求められたと思いますので、見た目は二の次という作りですけんど、その粗々しさも、ひとつの味となり無骨な顔つきに愛嬌も感じて、好感が持てるがです。


けんど、竹虎の竹皮草履と比べてみた時に、自社の職人を持ち上げるワケでもないですけんど、時代の要望や、お客様のリクエストに応え続けてくれて、まっこと別物の履物ように進化しちょります。編み目など誰がみても一目瞭然の美しさやきに。


竹皮をねじる事なく、立てたまま編み込む高度な技。サイズも小さな12センチから反対に大きな28センチまで。まっこと、これだけの品質で編み上げられる竹皮草履は他には、どこにもないがです。昔ながらの竹皮草履が悪い事はないがぜよ。ただ、自分達の草履は伝統という背骨をしっかり持ったまま変わり続けゆうと言う事やろうか。技術を残して継承していく上で何よりも、こじゃんと大事な事の一つですろう。


 

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