「裏山に生えている、ただの竹だろう。」
たまに、こう言われる事があるがです。まっこと、その通り。
ただの竹、ただの竹ぞね。
虎竹の里の竹を探し求めて曾祖父、宇三郎が、この地に船でたどりついたのは、もう100年も前の話。小舟にのって海からやってくると、荒々しい太平洋に洗われた海岸が続くなか上陸できる安和海岸の砂浜が見えるとホッとしますけんど、自分と同じこんな気持ちやったろうか?はじめて一歩を踏み入れた時はどうやったろうか?山がそそり立つ虎竹の里の美しさに見とれたろうか?当時の高知言うたら鉄道もなく、曲がりくねった細い山道しかない交通の不便な遠い辺境の地。大阪は天王寺にあった竹工場から、ここに来るいうたらまるで海外にでも行くくらいの覚悟やったですろう。よっほどの物好きやったに違いないがです。
けんど、この地だけの虎模様の出来る不思議な竹に惚れ込んだ男は、何度も何度も県外から通ってくる。竹の季節になったらやって来る。根負けした山主から竹を買うては浜から積み出して運んで行く。そうこうしている内に山主の娘イトと恋に落ちて結婚する。ますます何度も何度もやって来ては虎竹を仕入れて帰っていく。他の山主にも掛け合うて虎竹の林を増やしていく。ついには虎竹ばかり扱う専門の竹屋となっていき、もともと「竹亀」やった屋号は二代目義治の代には「竹虎」変わるがです。
その昔は、珊瑚と同じように土佐藩の特産品として山内家へ年貢の変わりに納められたという歴史もある竹だから、よそ者としてやって来た初代の苦労は、どうやったろうか?こじゃんと(とても)あったろうにゃあ。悔しい思いも、いっぱいしたかも知れませんちや。けんど、それほど一人の人間を引きつける程、虎竹が魅力的やったがやろう。まっこと、ただの竹やきに。その通りぜよ。人の言うとおり、ただの竹。イギリスBBC放送が来ただの、ユニクロとコラボしただのそんな事はどうでもエイ。
ただの竹ですきに。
けんど、ワシの曾祖父が、祖父が、父が、そうやったように、自分もこの「ただの竹」に命をかけちょりますぞね。
ただ、当たり前の事。それだけの事。ただの竹やきに。