最後のシダ編み食器籠

シダ食器籠


虎竹の古里、焼坂の山々は、もちろん日本唯一の虎竹の産地なのですが、やはり自然が豊かという事かも知れません。土地の古老と話をしていると虎竹だけではなくて、他の山の幸も色々と授かっていたようながです。そんな山の幸のひとつが「シダ」。別に虎竹の里の山ではなくとも全国どこでも山に登れば普通に見ることのできる植物なので不思議に思って聞いてみると「茎がスッーと長うて、使いやすいシダが多かった」との事なのです。


焼坂の峠を越して下ったところには鰹の一本釣りでも有名な港町、久礼があります。ここの浜から出荷されていたのではないかと思うがですが、この小さな町にシダ屋さんというシダの素材ばっかり扱う商家が何と2軒もあったと言うますきに、当時、結構な量が流通しよったのかも知れませんぞね。水に強く、細くしなりがあり、軽いシダ。昔の日本の暮らしには無くてはならない素材やったのです。古い民家や、骨董品として見かけるシダ編み籠は、どれも、これも仕事師のエイ顔をした籠ばかり。汚れていたり、所々壊れていたりしますけんど、沢山の人のお役に立派に立ってきたという誇りに輝いちゅう。


もしかしたら最後のシダ編み籠になるかも知れない。そんな思いを持ちながらも職人さんが山でシダを刈り美しい編み込みが出来る限り、皆様にお伝えしたいと思いよります。手にした皆様もどうか、大事に大事に後の時代に伝えていただきたいと思うのです。


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