囲炉裏の煙

囲炉裏


囲炉裏からたちのぼる煙が日の光の中をゆらりゆらりと見えよります。パチパチ......。時々音をたてる薪の横におったら、なんとも懐かしい、小さい頃に戻ったような気持ちになるがです。自分の小さい頃には、まだまだこんな昔ながらの囲炉裏か残っていて、火を囲んだ団らんもあったぞね。


そう言うたら囲炉裏も、そうですけんど、五右衛門風呂と呼ばれよった釜のお風呂もまだありましたし、台所には大きなカマドもあったちや。それぞれ薪をくべるので家の外には薪が高く積まれちょりました。そう考えたら現代の家と違うて昔の家は火をつかうシーンが、まっこと(本当に)多かったですぞね。香りは記憶にこじゃんと(とても)残ると言いますけんど、囲炉裏の火の香りは幼い頃の記憶を走馬燈のように思い起こさせてくれる。いやいや心地のえいリラックスする時間ながです。


煤竹


立ちのぼる煙は藁葺き屋根の防虫に役立ち、葺き替えるのは一生で一度と言われるくらい長持ちさせたそうです。まっこと昔からの生活の知恵というのは凄いものですちや。そして、この煙が生み出すもうひとつの逸品が煤竹(すすたけ)。藁葺き屋根の一部に竹が使われちょりますが、その竹も長い年月の間、煙に燻され渋い渋い色合いに変色していくのです。


茶華道の高級竹材とした珍重されますが、100年、150年前の竹やし現代の暮らしでは囲炉裏の生活が皆無ですきに、これから、ますます希少価値が高まるので貴重な竹材と言えるがです。ちょうど色合いが薄く見えている所は縄でくくられていた部分。この煤竹を竹バックに創作されて百年の風雪を耐えた竹に新たな百年の命をふきこむ。竹芸界の巨匠渡辺竹清先生がおられますが、とにかく特殊な環境で100年という時間を過ぎた竹なので、竹の性質も一本、一本全てまちまちで、乾燥しすぎて竹細工に使えない竹も多いと聞いた事がありますぞね。人の一生より長い時間を超えてきた竹。煤竹を使うた作品づくりはまさに時間職人との二人三脚ではないかと、いっつも思うがぜよ。


118年の山岸竹材店

雑誌CARREL


今月は嬉しい事に雑誌掲載が多いがです、今回は「CARREL」さんに夏の履き物として、竹皮草履を掲載いただいちょります!まっこと、ありがとうございます、感謝の気持ちでいっぱいぜよ。さて、雑誌に載せていただく時に社名も記載してくれるがですが、実は、昔は会社の名前がイヤでイヤで仕方なかったです。


「山岸竹材店」


なんか、古くさくて、ダサさてく、格好が悪いぜよ。友達の働きゆう横文字の、あの会社は都会的でお洒落やにゃあ。あんな名前にいつかしたいにゃあ。そう心に誓うたのは、もう30年近く前の事やちや。けんど、段々と時が流れて、気がついてみたら「竹材店」と名前のつく会社がドンドンと無くなっていき、自分も竹材店での仕事を長くなったせいですろうか?こんどは、この社名に愛着を感じるようになってきたがです。


イカン、イカン、100年も続いてきちゅう名前を自分が変えるらあとは、とんでもない。この社名は自分たちが曾じいさんの代か受け継いだ宝ですろう。竹虎の屋号は自分らあの誇りやき。そう心から思えるようになったら、こじゃんと好きになったものが一つあるがです。それが、虎竹の里ではマフラーと呼ぶ竹虎タオル。何の変哲もない白いタオルやけんど、竹虎のロゴマークと日本の竹材専業メーカー(株)山岸竹材店と大きく印刷されちゅう!こりゃあ、おまん、渋いがぜよ!


梅原真さん


たまに町を歩きゆうとブランドのロゴマークの入った鞄や服を見かけますけんど、ワシも東京に行くときには首に巻いたタオルの、この「山岸竹材店」が見えるように前にしますきね。先日は空港で有名なデザイナーの梅原真さんと馬路村の東谷組合長さんに偶然会うたけんど、あんまり格好がエイきに、欲しくなっちょったがやないろうか?(笑)


東谷望史さん


まあ、それはもちろん冗談ですけんど、まっこと(本当に)汗もふけるし、防寒にもなるし、鉢巻きにも使える。ご飯の時に、ちょっとこぼしたりしたちササッとやれるし車の窓も拭いたりする。そして、定位置の首に戻す。まあ、細かい事は気にしたらイカンぞね。そんな万能竹虎タオル、銀座のデパートで首に巻いちょったら田舎モノみたいなと言われますけんど、そうですろうか?


ワシが巻いちゅうのは118年の歴史ぜよ。


竹皮草履の三つ又

竹皮草履の三つ又


これは何か分かりますろうか?丸みを帯びた木片が3つ並んでいるだけなので一体何なのか分からないのが普通やと思うがです。答えを申し上げますと実はコレ、竹皮草履を作る時に芯になる藁縄をひっかける三つ又ながです。昔は、だいたいこのような道具はなくて、足の指に引っかけて草履を編むことが多かったのですが、今では足の指を使われる方は本当に少数派となっちょります。


3本突き出た突起の部分に藁縄を引っかけたら、ギュ!ギュ!とひっばり、細く裂いた竹皮を手元から段々と編み上げていきます。藁縄が、引っかけられ、はずされ、又、引っかけられ、はずされ。毎日の仕事の繰り返しのうちに、元々は角々としていた三つ又の角はとれ、丸みがまして、とうとうこんなに丸くツルツルになっていくがぞね。一体、竹皮草履を何足編み上げたら三つ又はこんなに丸くなるがですろうか?この道具を少し見ただけで、職人さんの仕事ぶりが伺える気がするのです。


ちょうど今は夏の暑い時。こうやって熟練の職人に一足一足と編み込まれた竹皮草履は皆様の快足感のため、クールビズのため全国でお役に立つこともあるかと思います。もし、お手元に届いた竹皮草履をお履きになられるような事がありましたら、


「おおっ!?こりゃ~気持ちがいいねえ~♪」


と、たぶん喜んでいだたけるのではないかと、自分たちも多少の自信を持ってお送りさせていただく商品です。履き心地にご満足いただけたらなら、この草履職人の三つ又の事も、びっくと(少し)でも思い出していただけたら、こじゃんと(とても)嬉しいがです。

国産虫籠の運んでくる涼風

高知の木陰


毎日、暑い日が続きよりますが皆さんいかがお過ごしですろうか?高知は南国土佐と言われて日差しや、明るさが他県とは違うとよく言われますし、強烈な太陽はジリジリ肌を焦がすという表現がピッタリの県です。けんど、最近どうも思うのは暑いは暑いですが高知の暑さはカラリとしていて何か都会と比べると、こじゃんと(とても)過ごしやすいのです。田んぼの多い田園地帯を歩くと、緑の田畑を吹いてくる風は木陰におったら真昼の暑い時でも心地よく感じるくらいぜよ。


国産虫かご


それに比べて、都会はコンクリートやアスファルトが熱をもったり、室外機からの熱風などもありますろうか?夜でも、なかなか30度から下がらない事もあると言われるとおり、肌にまとわりつくような、びっくと(少し)イヤな感じの熱気があるますぞね。だから、やっぱりそうですにゃあ、川があって、緑のゆれる田舎よりも、人が沢山いてビルの建ち並ぶ街中にこそこんな虫籠の涼しさの演出が必要かも知れませんぞね。


竹の虫籠は海外で作られたものも沢山あって、それはそれで出来ばえもエイですし安価ではありますけんど、竹虎では昔から作られてきた国産の虫籠をご紹介しよります。日本の夏に、日本の職人さんの技を感じてエアコンだけに頼らない涼しさを工夫する事もエイですちや。


竹柄杓のある手水

柄杓(ひしゃく)


イヤシロチという言葉をご存じですろうか?たまに聞くことがあるパワースポットとは少し違うかも知れませんが、そこに居るだけで元気になったり、とても心地よく感じる土地の事を言うのです。はじめは良く分かりませんでしたけんど、神社仏閣というのは、ほとんどがこのような環境に建てられていると知ってなるほど、と思うたのです。毎年「竹ねり」というお祭りをする地元の天満宮などもそうですし、お隣の漁師町久礼の八幡様などもそう境内に入ると、何となく心も落ち着いて清々しい気持ちになってきますちや。


昔の人は「イヤシロチ」などと言う言葉は知らんかったでしょうが、きっと、そこに行くと気持ちが良く、快適に感じる場所に神社仏閣は建てたがやと想像するのです。だから、という事でもないのですが、どこかでお寺など見かけた時にはよほど時間がない場合は別ですけんど、結構お参りさせていただく事にしちょります。別に理由がある訳ではありません。どうも、やはり心地よい空間なのかなあと思うがです。


さて、そんな時に皆様ご存じのように、手水(ちょうず)と呼ばれる参拝する方が手や口を清める場所があります。そして、そこには竹製の柄杓(ひしゃく)をよく置かれちょります。ああ、もしかしたらコレも参拝させていただく一つの理由かも知れませんぞね。


竹製品など町中では、ほとんど見かける事がないですきに、手水にある竹柄杓(木製、金属製の場合もありますが)を見て何となくホッとするがかも知れません。新春の青々とした柄杓も気持ちがエイです。古くなってきて枯れた感じの竹柄杓も、又エイ。竹は新しくとも、古くなってからでも魅力のある懐の深いものやなあと、いっつも思うがです。


薬用育毛剤「たかんな」

竹林


竹は地下茎を四方八方に伸ばして、毎年どんどん生える、もの凄いパワーのある植物ながです。「地震の時は竹藪に逃げろ」小さい頃に、そんな事を習いましたが、それは天然の鉄筋コンクリートと言われるほど地中に張り巡らされた、丈夫な根が地面をしっかり固めているからなんです。そして、「雨後の筍」という言葉もありますぞね。これは、雨が降ったあと筍があっちにも、こっちにもニョキニョキと生えてくる様を言い表しちょりますが、こうやって生えてきた筍が天を目指して真っ直ぐにグングン伸びて何とたったの3ヶ月で20メートルもの高さの親竹と同じ大きさに成長してしまうのに、まっことビックリ仰天!するのです。


継続利用可能な唯一の天然資源などと呼ばれることもある竹。この驚異の成長力にあやかって竹のように髪の毛も元気になればと願いを込めた薬用育毛剤「たかんな」がいよいよ完成したがです。


「たかんな」とは筍の古呼び名。竹のミネラル成分を活かした「たかんな」もともとは、竹炭の洗い水に使われている竹炭ミネラル水を洗髪に使ったことから今回の育毛剤の開発にいたったのですが、開発者の崔允聖(チェユンソン)博士は東京大学大学院化学生命工学専攻の博士号を取得され、新規オリゴ糖・多糖を用いたエイズウィルス予防治療薬の開発などで数々の国内外の雑誌に成果を発表されちゅう凄い先生ながです。


今月末に崔允聖博士が虎竹の里にお越しになられて、こんどの商品の効能などについて社内研修も予定しちょります。竹を見直してもらえる契機になるろうか、まっこと楽しみやちや。


竹帽子をシートベルトでカチリ

竹帽子


最近、出張に行くときには丸坊主に強い日差しは堪えますきに、竹帽子を持っていく事が多いがです。まあ、あんまり不便はないですけんど、乗り物に乗ったら、すぐにグーグー高いびきという方なので帽子をかぶったままでは、ひさしの部分がシートに当たって困るがです。


そこで帽子を脱ぐのですが、大事な帽子は飛行機の荷物入れには入れられません。もしかしたら空の上で機体が揺れて重たい鞄などが上にのったりしたら大事ですきに!折りたためる布の帽子などと違い、意外と小さい前のシートのポケットにも入れられず、お隣の空いたシートに置くのですが、どうもどこかに転がっていきそうで心配やにゃあ...。と、そうこうしている内にキャンビンアテンダントさんの方の放送があったがです。


「...シートベルトを...」


おおっ!そうぜよ、そうぜよ。シートベルトを使わせてもろうたら、しっかり固定もできるちや。カチリっ!シートベルトを付けたら、こりゃあぼっちり(ちょうど)ちや。これで安心、安心。汽車では、たまに寝過ごしてずっと遠くまで行きますけんど、今日は、大丈夫。竹帽子の事も方づいた事やし、寝過ごしも心配せずに、ゆっくり寝れますぞね。


迎之虎と送り虎

迎之虎


日本一の虎と呼ばれちゅうそうです。どっしりと構えた虎の迫力が、見るにつれてヒシヒシと伝わってきませんろうか?北九州は小倉城の中に展示されている「迎え虎 」という高さ4.7×幅2.9メートルもある絵。どこから見ても、この虎が真正面からコチラを見ているというすばらしい作品ながです。「虎」と付くと、竹虎四代目としましては、どうも親近感が沸いてくるがです。そこで、ついつい足が向いてしまうがちや。この日も結構強い雨が降りよって少し迷いはしましたけんど、やっぱりこの虎に会わずに帰ることはできんがぜよ。


追手門で急にまた雨足が強まったので、作務衣の裾をまくりあげて太股の所で紐をギュ!と縛りますぞね。こういう時には作務衣は便利ながやき。おっと、けんど素足と虎竹右近下駄はビショ濡れになりましたちや。けんど、今回は竹皮男下駄でなくて正解やったちや。竹皮は水に濡れると、なかなか乾きが遅いですがこの虎竹は水気をはじくような感じで以外と乾燥が早いのです。


「迎え虎 」は色々な人との出会いを招く縁起のエイ絵やと思います。


送り虎


対になっている「送り虎」という絵もあります。まっこと(本当に)こんな虎には、なかなか会う事はできません。機会があったら是非皆さんもこの圧巻の二匹の虎をご覧いただくと、どうですろうか!?


有馬籠

有馬籠職人


実は温泉地と竹細工というのは深い関係があるがです。竹細工は昔の生活になくてはならないものでしたので、全国から湯治にやってきた方達がそれぞれの故郷に帰る際にはお土産として実用的な竹細工が好まれ、温泉地周辺では製造が盛んになったという訳ぞね。四国では道後温泉がありますし、九州なら別府温泉、そして今回はじめてお伺いした有馬温泉など、かっては竹細工が、こじゃんと有名やった所です。


けんど、その中でもその温泉地の名前が竹籠に付いているのは有馬だけ有馬籠は、この有馬を発祥としちょります。有馬にも、かっては70名を超える竹職人さんがおられて、茶華道竹器から農作業につかう竹籠、竹ざるまで色々と製造されていたと言いますけんど、今では当社の虎竹でお世話になりよりますのはここ、有馬で五代続く轡(くつわ)さんだけとなっちょります。


ねね


この有馬温泉は、あの豊臣秀吉もこじゃんと(とても)気に入っていて、何と正妻であった、ねねもここに別宅を建てていたほど太閤橋や、ねね橋なるものもありますちや。そうそう、そう言うたらNHK大河ドラマ「秀吉」やったか「前田利家」やったかどっちか忘れましたけんど、この有馬に、ねねが利家の正妻まつとやってくるシーンもありましたにゃあ。


また、この温泉地には、百人一首でも歌われた猪名(いな)の笹という有馬の竹の歴史があり、湯治に何度も何度も訪れた秀吉が千利休を伴ってきたという伝統もありますすきに。有馬の竹細工は、どことなく品のエイ、お茶の世界の香りがするのかも知れませんちや。


虎竹棕櫚箒

虎竹棕櫚箒


箒の柄といえば、虎竹だったと言われる箒職人さんがおられるくらい、かって独特の虎模様のついた虎竹はどこのご家庭にでもあった箒の柄などにも沢山使われちょりました。なんと、その当時は虎竹が足りなかったのか、薬品を使うて、わざわざ虎竹の模様を真似て竹に焼き付けた竹、なんて言うのもあったほどなのでどれくらい需要があったかと言うのが分かりますぞね。


けれど、そんな大昔の話ではなくて、自分が大学卒業して入社した数年くらいはまだまだ箒の柄は毎日、毎日、一体誰がこんなに使うのだろう?びっくと(少し)不思議に思えてくるくらい沢山製造して、大型トラックに積み込んでいたのを思いだします。


それが、いつの頃かピタリと取り扱いがなくなり、箒の柄に使っていたことすら忘れかけていた頃に昔の箒職人さんのお話をお聞きする機会があってこれは、ひとつ復活させたいにゃあ。色々な思いがわき上がってきたのです。そもそも、曾じいさんが100年も前に、この地にやってきた当時。竹細工というのは、もっと身近なものだったはずで、虎竹も、暮らしの中にとけ込んだものだったはずなのです。昨日のブログでも少し棕櫚箒が登場しましたけんど、まず、虎竹の棕櫚箒を作ってもらいましたちや。うん、うん。なかなか、エイぜよ、なかなか、エイちや。まっこと、エイ。


フローリングに竹の節目あり

竹製ちり取り


若い方にも棕櫚箒が見直されています。電気を使わないとか、静かで夜遅くでも周りに気づかう事なく掃除できるとか、とにかく、ササッと思った時にすぐに掃除できる手軽さが良いようながです。手箒と言うたら、ちり取りが付き物ですけんど、実は前に竹の集成材を使って、ちり取りを試作しちょりました。


お客様にご紹介するには、まだもう少しだけ改良せねばならない所があり今だに販売しているモノではないのですが。ご注目いただきたいのは、竹を縦方向に貼り合わせた集成材の所々に見える竹の節ながです。どこか分かりますろうか?ちり取りの中央部分などに横に色の濃い線が入っちょります。ここが竹の節だった部分。最近は竹の集成材も色々なところに使われていますが、この独特の節模様が入っているのでスグに分かるのです。


竹フローリング


このフローリングは東京は六本木にある大きな商業施設の通路ですぞね。何回かお話させてもろうた事がありますが、この建物では、成長スピードが早くて環境にやさしい素材という事で、竹を選ばれたのではないかと思うのですが、通路、壁などすべて竹材が使われちょって、まっこと(本当に)壮観なのです!


さて、そして床のフローリングをよくご覧くださいませ。さっきの、ちり取りと同じように節の模様がアチコチに見ています。部屋の内装や床材としてだけではなくテーブル、椅子などの家具や小物などにもこの竹集成材が多用されだしていますが、木の木目のように竹の節が目印になりますので、気になったら探してみとうせよ~。


黒竹丸窓の技

黒竹丸窓


竹と言うと真っ直ぐに天を目指し、スッーーーと美しく伸びる姿を思い浮かべます。実際に竹林に入って竹を1本、1本見上げてみても、ただひたすらに何の迷いもなく上を目指している。そんな竹の姿勢に自分の背筋もピンとする気持ちがするがです。しかし、真っ直ぐに伸びていると思っている竹でも、いざ伐り倒してみたら何の曲がりも、ゆがみも無いかと言いますと、実は真っ直ぐな竹は1本としてなくて程微妙な曲がりがあります。それは、そうですちや。もちろん自然のものですので人工的に製造するようにはイカンがです。


だから、全ての竹は熱を加えて油抜き加工しますが、その際に矯め直しと呼ぶ曲がりを矯正する加工をしていくのです。これも何十年というベテランの職人がいる特殊な技術が必要とされる仕事のひとつ。熟練の職人の手にかかったら曲がった竹は、あれよ、あれよという間に、真っ直ぐに矯め直されていくのです。


さて、曲がった竹を真っ直ぐにしていく技術は非常に難しいですけんど、真っ直ぐな竹を曲げていく加工というのもこれは、さらに難度の高い竹加工の技ながです。竹節をちょうど中心にそろえて丸く円を描くように曲げられた黒竹。竹と竹が、しっかり合わさって握手しているようにも見えます。


黒竹の「結び」。飾り窓と言われる日本建築の室内装飾に使われちょりますが、今の時代にも、こじゃんと(とても)大切なものを表現しているようでもあります。竹の熟練の腕はこんな素晴らしい作品も可能にするのです。


美しい匠の青竹ざる

竹ざる


「この竹ざるは美しい......」


まず息をのみ魅入ったあとに、つい思わず声を出してしまった青竹ざる。大きな竹を粗割し、細く細く竹ひごに取られた1本、1本の竹ひごから伝わる丁寧な仕事ぶり。編み上げられた竹笊の美しさ縁巻きからも職人の技術の高さがうかがえるのです。同じような形をした竹ざるは沢山あります。竹ざるの機能だけを言うと輸入の竹籠も数限りなくありますけんど、ここまで気持ちの入った竹ざるは、まっこと(本当に)見る機会はあまりないがです。


竹籠や、竹ざるが日本人の暮らしの中で当たり前に使われていた時代には、同じ竹細工を繰り返し、繰り返し、毎日、毎日作ることにより、技に磨きがかかり、研ぎ澄まされ、極められて、まるで神業とも思えるような繊細さと、実用性を両立させた匠の技とよべる職人さんがおられました。


しかし、その道一筋の熟練の技が少なくなるにつれ、手にして、言葉をなくすような「竹」に出会う機会は減りつつあります。久しぶりに竹に愛情をいっぱい感じる竹ざるをみて幸せな気持ちになるがです。竹は近いようで、遠いところにある。竹は分かったつもりでも、まだまだ深い。このような心の高ぶりを覚えるたびに、いつも思うのです。


古く美しい棕櫚箒

古い棕櫚箒


古い棕櫚箒を見せていただく機会がありました。かなり昔の品ですが、古いだけでなくて、素晴らしい出来映え細かい所まで丁寧に作りこまれた、まさに職人魂とでも言うたらエイでしょうか。何十年経っても、いえいえ、何十年経ってこそ真価が現れるような迫力と風格のある匠の一本やったのです。


棕櫚箒の材料は棕櫚という木の皮なんですが、残念なことに現在ではこの皮は国内では生産されなくなり、ほぼすべてが輸入の棕櫚皮になっちょります。国産棕櫚箒も中国や台湾から輸入された材料を使い製造されていますので、やはり、箒そのものの作り手の技量もさることながら素材そのものの質、美しさが圧倒的に違うと感じるがです。昔はこんな棕櫚があってその棕櫚の皮をこれだけ手間をかけ、丹誠込めて箒に仕立てよったのですろうか?


今は便利で快適な時代。昔とは比べものにならない生活を楽しむことができますが、自然素材のものづくりという事に関して言えば、少し昔がうらやましくなるような気持ちになるがです。人の心をこれだけ引きつける棕櫚箒ち。まっこと、一体何ながやろう。もう、止めようと思うて帰りかけて、やっぱり、もう一回、もう一回。こんな棕櫚箒は、今の日本ではちょっとお目にかかれませんぞね。


カワウソの泳いだ川

木製ウケ


虎竹の里から車でほんの数分のところに、日本カワウソが最後に発見されたという新荘川が流れよります。そうです、あの日本カワウソです。絶滅したと言われよりますが自分の小さい頃には、まだ普通に泳ぎよったのですぞね。高知県言うたら四万十川や最近では仁淀川が有名ですが、実は、美しい自然の残る川は沢山あるのです。


そんな新荘川を通りかかったら、ひとりのおんちゃんが川に胴体まで半分浸かって歩きよります。知らない人が見たら何と思うですろうか?ちょうど、プールで半身浸かって歩く方がおられますが、そんな風に、運動不足解消のため、健康のためと思うろうか?それとも単純に暑さを避けて川遊び?しかし、どちらも不正解です。


答えは「鰻」


どうも鰻丼の値段も上がり高嶺の花になりつつありますので、鰻の話題が多くなる傾向にありますけんど、川に浸かって鰻捕り用の仕掛けを上げていたのです。麦わら帽子をかぶった、おんちゃんが手に提げてきたのは、竹製ウケではなく、木で作られたモノ。竹のウケの方が軽くて扱いやすいので主流ですが、こうやってお手製で鰻捕りを楽しむのも又エイもんながです。けんど、まっこと(本当に)のどかな風景。豊かな川の幸がある高知ならでは。こんな大自然の中で虎竹も育まれゆうがやといつも思う事なのです。


最後のシダ編み食器籠

シダ食器籠


虎竹の古里、焼坂の山々は、もちろん日本唯一の虎竹の産地なのですが、やはり自然が豊かという事かも知れません。土地の古老と話をしていると虎竹だけではなくて、他の山の幸も色々と授かっていたようながです。そんな山の幸のひとつが「シダ」。別に虎竹の里の山ではなくとも全国どこでも山に登れば普通に見ることのできる植物なので不思議に思って聞いてみると「茎がスッーと長うて、使いやすいシダが多かった」との事なのです。


焼坂の峠を越して下ったところには鰹の一本釣りでも有名な港町、久礼があります。ここの浜から出荷されていたのではないかと思うがですが、この小さな町にシダ屋さんというシダの素材ばっかり扱う商家が何と2軒もあったと言うますきに、当時、結構な量が流通しよったのかも知れませんぞね。水に強く、細くしなりがあり、軽いシダ。昔の日本の暮らしには無くてはならない素材やったのです。古い民家や、骨董品として見かけるシダ編み籠は、どれも、これも仕事師のエイ顔をした籠ばかり。汚れていたり、所々壊れていたりしますけんど、沢山の人のお役に立派に立ってきたという誇りに輝いちゅう。


もしかしたら最後のシダ編み籠になるかも知れない。そんな思いを持ちながらも職人さんが山でシダを刈り美しい編み込みが出来る限り、皆様にお伝えしたいと思いよります。手にした皆様もどうか、大事に大事に後の時代に伝えていただきたいと思うのです。


虎竹染めの綿糸

虎竹葉


青々とした虎竹の葉、これが虎竹染めの原料となるのです。自然素材はつくづく微妙なものだなあと思います。春先の葉と今時分の葉では色の出具合が全く違う。だから、虎斑竹の伐採シーズンとしては終わってちょりますが、わざわざ、こうして竹を伐り葉を集めることもあるのです。


虎竹染め糸


今回、虎竹染めにするのは細い綿糸、綿糸を染めて何に使うの?まっこと(本当に)その通りです。竹細工にはあまり必要のないもののように思われます。けんど、今回作りたいと思っているものにはこの綿糸が大きな役割を持つがです。一体、それは何ですろうか?それが実は箒なのです。


虎竹染め


真っ白い綿糸はそのままでは染まりにくいので、いちど熱湯に通して油分を取り除いてから虎竹の葉で染め上げていきます。緑の葉から一体どんな色になるろうか?皆さん、興味津々やと思いますが、なんと、竹らしい優しい色合い。柔らかい発色をする黄色に染まります。そうそう、「竹虎ゴールド」とも言われた事もある。虎竹染めハンカチをご覧いただいたらイメージできるかも知れません。


この虎竹染め綿糸を使うて虎竹箒を復活させるお手伝いがしたいのです。


「かって箒の柄と言えば、虎竹やった」


熟練の箒職人さんの言葉が耳から離れません。虎竹箒を虎竹染め綿糸で作るプロジェクト!そのまんまですけんどこじゃんと(とても)楽しみにしちゅうがです。


竹林の太陽

竹林の太陽


自分は分からない事ばっかりなのです。田舎の小さな竹屋で虎竹の事なら少しは知っちょりますが他の事は何ちゃあ分かってない。どれが正しくて、どこに行くのがエイことか?まっこと(本当に)誰か教えてもらいたいがぜよ。毎日、迷うてばかりやき。もしかして「迷える子羊」言うのはワシの事ですろうか?本気でそう思わん事もないくらいぞね。まあ、けんど選択肢が多くなってきた現代だからこそ誰でも、あれこれ道に迷っているのかも知れませんちや。


さて、そんな子羊ちゃんは時間があったら竹林にやって来るのです。頭で考えてもなかなか答えのでない事は、いっつもここで感じるようにしちゅうがです。別に誰に聞いたわけでも、諭されたわけでもなく高校の時から自然と足の向いた、この竹林そうやって通いよったら、ほらこうやって竹の間から光りがさして、


「真っ直ぐ、真っ直ぐ。竹も真っ直ぐやきに」


そう言うて声がするがです。そうか、天を目指して真っ直ぐかと気がつくがけんど、そうそう慌てて真っ直ぐに行ったらイカンぜよ。節々を大事に。......節々......?そうぜよ、そのまんま、自分の事ではないですか!まっこと(本当に)竹の教えは有り難いにゃあと思うがです。


竹帽子

竹帽子


梅雨があがれは南国土佐はカンカン照りです。ジリジリと強い日差しは、まっこと(本当に)半端ではないですきに、外で仕事する時には帽子は絶対に必要ながです。ツバの広い帽子だったら、なおさらエイことはエイです。けんど、竹屋の自分がかぶるのなら、やっぱり普通のモノではなくて、竹の帽子がないろうか?夏になったらパナマ帽言うてダンディーな大人に似合う。洒落たツバのついた帽子を見かけるので、竹編みで帽子も作れないことはないろう...。ずっと、そう思っていました。


そうそう、今思いだしたのですが、何年か前に帽子デザイナーの平田暁夫さんの東京にある工房におじゃました事がありました。何と、実は平田さんが竹皮草履の愛用者であられましたのでそのご縁での訪問やったのですが、帰りがけに「竹皮でも帽子を作ってみたいんだよね」とリクエスト頂戴したのです。そこで、高知に帰ってすぐに竹皮の色合いや大きさを厳選してお送りさせてもろうた事もありました。拝見してはないのですが、たぶん素晴らしい竹皮の帽子ができたのではないですろうか?


そうぜよ、そうぜよ、そんな事もありましたので、竹皮でも帽子は作ることができるそれやったら竹で編む事も出来ますろう!そんな事をずっと思いよったら不思議な出会いで竹の帽子を作りゆう職人さんに出会うたぞね。


竹帽子職人


職人さんの、お師匠さんはお父さんやったそうです。何も教えてくれないお師匠さんやったそうですが、ある時、ご自分でかぶりたいと思うて自分で創作されたのが始まりやと言います。たまのお休みに竹帽子をかぶって外出されるとは想像しただけで、まっこと(本当に)格好がエイちや!お父さんの竹細工を背中越しに見ながらその技を覚え、受け継いでくれた竹職人さん、そして、出会いに、まっこと、まっこと感謝ぜよ。


竹帽子で散歩


しばらく、かぶる事のなかった竹帽子ですけんど、この夏用にと、又ひとつ誂えで作ってもろうたきに、一番上等の作務衣を着る時にあわせてかぶってみろうかと思うちゅうがです。梅雨明けの南国高知の強い日差しを待ちわびてますぜよ。


食器籠としてのメゴ笹かご

メゴ笹洗濯籠


メゴ笹洗濯かごは、水気に強い竹籠として食器籠にも多用されています。先日も山間にあるお宅を訪ねたら、庭先にお昼ごはんに食べた食器類を洗って入れておいてありました。自分の小さい頃にはもっと大きな大きなメゴ笹洗濯籠や竹編みの籠に食器やら、湯飲み、お箸など、どんどん入れて日当たりの良い縁側などに置いてあるのが普通の光景やったです。久しぶりに昔を思い出させてくれる懐かしい籠にお礼を言いながら、しばらく眺めさせてもらいましたぞね。


古い商家の竹籠


さて、けんど、まだまだ少ないとは言うても高知などではこうやって毎日の生活に使われているメゴ笹洗濯かご、実は偶然見かける機会があったのは高知からずっと離れた滋賀県の古い商家。年期が入った面構えは、長い間働いてきた誇りのようなものも感じさせる渋い色合いになっていました。現在では展示物として飾られていて実際には使われていないのですが。


見比べて、どうですろうか?同じような女竹(めんちく)系の竹を使いまっこと(本当に)同じような編み方をしているではないですか!?四国から遠い所でも、こうやって同じような形、編み方の竹籠があるという事を考えてみたら現代の日本では、ほとんど見られなくなり、竹虎でも一時は幻の竹籠とまで言われよった竹籠が、実は一昔前には全国各地で作られて日々の暮らしに当たり前のように役立っていたという証やと思うがです。


編み上がってきた洗濯かご


地元高知の資料館にも昔の生活雑貨のひとつとして展示される事もある、このメゴ笹洗濯かご。こうやって季節になって青々とした新品が編まれてくると自分たちも今は普通に扱っている竹籠ではありますが、本当は貴重な資料にもなるような籠であることを忘れてはイカンと思うがです。そして、新米の籠たちに言います。


「オマンらあも、何十年たって、あんな格好のエイ籠になりよ」


その道一筋に歩んできた職人さんがシワだらけの顔で、イキイキと魅力的なように新しい籠たちにも一筋に働いて数十年後が楽しみなように成長して欲しいがです。


竹昆虫の静と動

竹の蝶


竹という素材は、まっこと面白いちや。竹の虫を作る職人さんの昆虫への愛情をヒシヒシと感じる作品たちを眺めながらふと、足の止まったのは竹の蝶の前やったです。この羽はもしかしたら...竹の内側には半透明の薄皮のようなものが付いちょります。この薄皮は、こじゃんと(とても)破れやすくなかなか細工に使う事は難しいのですが、こりゃあ、まっこと(本当に)良く作っちゅうよ。この薄皮を使うた昆虫竹細工は、祖父の元気だった頃の職人さんで、お一人だけ、使いこなす方がおられましたがあの方以来、見せて頂いたのは二人目ですちや。


竹カマキリ


静かな蝶の竹細工から、今度は今にも動きだしそうな二匹のカマキリです。それにしても、この虫たちのポーズ。足の形や、お腹部分や羽の細部まで竹の特徴を活かしながら細かく作りこまれて、ホンモノのようながです。自分が草むらにでもいるような気分になってきましたぞね。


竹のクワガタ


そうそう、クワガタも意外と力持ちながです。よく、こうやってケンカしよったにゃあ。竹工場の周りには竹の切り屑がいっぱいで竹の糖質のせいかカブト虫が沢山集まりよりましたが、中にはクワガタもいて、小さい頃はよく昆虫採集に行ったものなのです。こんなシーンも確かにありましたぞね。竹昆虫の静と動。すっかり職人さんの手仕事に魅了され、楽しませてもろうた竹の虫たちでした。まっこと(本当に)ありがとうございます!


感謝!竹虎動画2000回突破

竹虎新春動画2012


まっこと皆様のお陰ですちや、ありがとうございます!毎年、竹虎ではお正月の挨拶に動画を作りよります。今年の動画には社員一同参加してもろうて撮りましたぞね。そして、今年の元日から公開しちょります、2012新春挨拶動画の閲覧回数が、なんと、なんと2000回を突破しましたぞね!!!


いや、本当に凄い事やと思うがです。実は昨年2011年の動画では、竹虎弥太郎(?)が虎竹の古里を駆け抜けたのですが、その動画「竹虎2011」が1874回。その前の年の虎に変身した「タイガー&ドラゴン」は817回。そして、その前の年の「竹虎2009」は301回。これはミルねえさん、丹下のおっちゃんなど色々出てくるがです。「明日のジョー」の実写版の映画がありましたが、この映画より、ずっと前に撮りました香川照之さんの替わりに、丹下のおっちゃん役の話が来てもおかしくない位自分では面白いと思うちゅうがですけんどねえ(ホントか?)


まあ、こう見ていただくと、数分間の動画を、皆様にご覧いただくのは思うよりも大変なことながですぞね!それが今回の2012年動画はなんと、わずか半年で2000回越え。あの製作の苦労が......(ホントは自分は何ちゃあしてませんが)
撮影の様子はコチラ


さて、それでは3000回を目指してファイトぜよ!


篠崎ざる

草薙秋男さん


竹は防災にも役立っていた事をご存じですろうか?地震の時は竹林に逃げろと小さい頃教わりましたけんど、竹の根は天然の鉄筋コンクリートと言われるほどあっちこっちに張りめぐらされちょりますので、地盤がしっかりしています、そこで高知県でも川の護岸用として川岸に竹を植えることが多かったのです。


四国で有名なのは吉野川の川岸やろうか。川沿いに走る高速道路から眺めるとさすが大きな川だけあって、竹林もこじゃんと立派なのです。これは東京でも同じことやったようで、江戸川沿いの護岸工事としては篠竹という少し小降りの竹が植えられこの篠竹を使うた竹細工が盛んやったそうなのです。


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「ウチのかごは、これだけ丈夫なんだよ」


この道一筋の草薙秋男さんは言います。篠崎ざると呼ばれ、当時は200軒もの竹細工職人がいたという地域。今では周りの景色もすっかり変わり、最後のお一人の職人となられているのですが、いろいろとお話をお伺いする機会をいただいたのです。


外縁


「外縁」の竹籠は持ちやすく、中にいれたもの他の容器などに移しやすい。まっこと(本当に)実用的な編みやと思います。東京で竹細工というのはピンときませんでしたが、竹を割ったような性格という言葉があります。


「竹は江戸っ子気質にピッタリなんだよ」


竹を天職とさだめ歩いてきたプライドかのぞきます。いやいや、格好のエイ竹職人さんながです。


めかいざる


ここ篠崎で、一番多く生産されちょったのがこの「めかいざる」昔は魚屋さんにも八百屋さんにもこの、めかいざるを持っていき食材をのせてもらって自宅まで帰る。そんな買い物のスタイルだったそうながです。この竹ざるを50枚重ねて紐で縛り、船にのせて川を渡って運ばれていったと言う話はテレビで見たことのある東南アジアの国々の川辺の暮らしを思いだします。竹とは、しなやかで、作る人と使う人で完成するものなんだよ。はじめて会うた職人さんがなんか懐かしい気がするのは祖父がいるように感じたからですろうか?


白竹の月見台

白竹月見台


湿気の多くてムシムシする夜に思い出す、あの白竹月見台。細い竹の感触がお尻になかなかエイ感じ。ゴロリと横になったら、なったで背中にあたる優しいゴツゴツ感。まっこと(本当に)、竹の月見台を考えた人は天才ぜよ。絶対に必要という空間ではありませんけんど、日本は素晴らしい四季のある国。移り変わる季節を肌に感じて、こんなに心の安らいで、リラックスできる場所は色々考えてみましたが、他にありますろうか?


まあ、広いスペースに越した事はないですが、別に、狭くて、ささやかな竹の月見台でもエイのです。真っ直ぐにのびた竹がズラリと並んでいるだけでそんな月見台があるだけで結構気持ちが清々しいがです。虫の声でも聞きながら夜空の澄み切った明るい月でも、のんびりと愛でる事ができたなら、流れていく雲を無心で眺めることができたなら、それこそ極楽やきにゃあ。


おっと、けんど過ごしやすい季節はまだまだ先の事。うっとおしい長雨の時期や。熱帯夜には、せめて国産天然竹の快眠マットで竹の月見台でゴロ寝気分を味わうてみるがぞね。


<マル秘>竹虎箒プロジェクト

虎竹箒


実は今密かに製品化をすすめている商品の一つに箒(ほうき)があるがです。名付けて<マル秘>竹虎箒プロジェクト。一体何なのか説明をする前に......実は竹虎は、かっては3交代制24時間操業の会社でした。


ええっ!?ホントですか?竹屋さんでしょう、コンビニではないですよね?今ならそんな声が聞こえてきそうですが、実は、これには理由があって、そもそも土佐藩の時代には、日本唯一の虎竹は年貢替わりとして、山内のお殿様に献上されていたという記録があるがです。そして、その頃の主な運搬手段は海でした。安和の海岸に運び出された虎竹は浜で船に積み込まれて高知のお城下まで運ばれていったのです。


時代は、ずっとくだって国鉄(現在のJR)が通るようになると、今度は貨物列車の時代となります。船に積まれていた虎竹は、安和の駅から貨車に積まれるようになるのです。一台の貨車の運賃は同じです。だから、虎竹を詰め込めるだけギッチリ詰め込み、京阪神方面に運んで行ったといいます。貨物列車は時刻通りに出発しますので、貨車一台分の竹商品を用意するのにその時間までに一定量を製造しなくてはならず、当時の竹虎では24時間操業を続けていたという事ながです。


手箒


さて、この竹虎の24時間操業秘話とマル秘竹箒プロジェクト。これが一体どうやって、からんでくるのか?むむむ......さっぱり分からんにゃあ。謎が謎を呼ぶぜよ......。いえいえ、そんな大袈裟なストーリーではありませんが、昔の倉庫からタイムスリップしてきたような、古い古い手箒に聞いても分かりません。けんど、竹虎の長い歴史の中で、思いもよらない人と人とのつながりがあって、実は今でも延々と続いている。そんなお話の続きはまた後日の30年ブログでご紹介したいと思うちょります。


鰻の想い出

竹製ウケ


鰻の稚魚が少なくなって鰻が高価な食材となり、庶民の味ではなくなりつつあるようです。日本人には親しみがありますし、何より美味いし、夏のスタミナ食として無くてはならない食べ物だけにとかく話題にのぼりがちな鰻。ところが虎竹の里あたりでは、ほんの30年前までは鰻は買うものでも、食べに行くものでもなく「捕る」ものやったがです。だから、竹製のウケは、まるで日用品のように納屋に置かれてましたし、ウチの実家にも、おじさんの家にも当然のように鰻をさばくためのキリが常備されちょりました。


キリとは、あの穴をあけるキリですか?何に使うのですか?ああ、良く聞いてくれましたぞね。鰻は、こじゃんと生命力が強くて骨になっても動くくらい。だから、さばく時に頭をキリで、まな板に打ち付けよったのです。今思うと、びっくと残酷のようにも思いますけんど、自分たちは、そうやって自然な川から自然な鰻を食べて育ちましたぞね。まあ、鰻の話はたまにしますのであまり長くはお話しませんけんど、このウケはそれにしても大きい。竹虎のうなぎうけ(鰻筌)の2~3倍はありそうなちや。一体、どれくらいの鰻が入りますろうか?


用水路


今日は、どうしても言うておきたい事は、この用水路。何の変哲もない、田んぼの横を流れる用水路ですが、こんな小さな小さな流れにもなんと、当時は鰻がいっぱいおったのです。どうです?にわかに信じられないかも知れません。もちろん、自分の小さい頃には、こんなに小川をコンクリートに固めてはおらず石を積み上げた用水路で、鰻や小魚が身を隠せる穴が沢山ありました。けんど、同じような、こんなに小さな川の流れです。だから、自分達もこんな小さな用水路にもウケを仕掛ける事があったがです。結果はどうだったか?実は、今までで一番成績のよかったウケは、このような用水路に仕掛けたモノでした。田植えをした稲が日に日に大きくなっていく虎竹の里の光景。梅雨の中休みに、あぜ道を歩きます。


「おーーーい、こじゃんと(とても)鰻は入っちゅうぜよ!!!」


あの頃の、川の流れと友達との大きな歓声がどこからともなく聞こえてくるような気がするがです。