「茶堂」をご存じでしょうか?先日は愛媛県南部の南予と呼ばれる地方から山間部の梼原町をとおって須崎に帰ってきましたけんど、その所々を注意して見よったら4畳半くらいの三方に壁のない小さな小屋が建っちゅうのに気がつくがです。
その昔は山深いこのあたりを訪れる旅人を当番制でもてなしていたとも聞く接待所のような役割をしよった場所です。この茶堂文化と言うがは梼原はじめ伊予までの比較的広い範囲にみられるがですが、四国八十八カ所のお遍路さんをの接待文化とは又違うこの辺り特有の文化ちや。
かって幕末、梼原を中心とするこの地からは勤王の志士とよばれる時代を動かした若者がこじゃんと輩出されたがです。あの坂本龍馬をはじめ多くの志士もこの地をとおり関所をぬけ全国に駆けていったがです。梼原に行くことがあったら「維新の門」を是非見とうせや。この地から旅立っていった志のある若者たちの銅像が8体、まるで当時の思いそのままに建っちゅう気がして迫力に圧倒されますぞね。
けんど、不思議に思いよりました。どうしてこんな山深い土地で、新しい時代を先駆けるまっこと進んだ考え方持つこときができたのか。その答えのひとつが茶堂やないろうか?この茶堂を通る人たちから、この茶堂に集う人たちから土地の人はその時代を敏感に感じ取り自分から考え、行動したと言われるがです。
現代の茶堂はどこにあるろう?それは、みんなあ知っちゅうろう。坂本龍馬はどうして脱藩したがやろう?インターネットが、あの時代にあったら乙女姉やんや暖かい家族と一緒に、武市半平太や中岡慎太郎らあ土佐の同志と美しい自然に囲まれた、この高知におりながら、新しい日本の夜明けを語りおうたかも知れんと思うがぜよ。
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