実は20代の頃、竹を伐るより石油で一山当てたいと思ってネバタ州の採掘現場で2年間働いていた。日本から遠く離れた見知らぬ土地、汗と油にまみれる暮らしの中で知り合った中にアミラという名の女性がいた。ボクの帰国後どこかの富豪の妻となり、ドバイで大きな商売をしていることは風の便りに聞いていたのだが、ある日突然、そんな彼女から連絡がきた。
インターネットで竹虎の商品が目にとまり世界中の自分たちの店舗で取り扱いたいとの商談だ。ああ、そういえば昨年の秋イスラエルから来たという商店主を思いだした。何の連絡もなく、ふらりと会社にやってきて、虎竹の事、竹細工の事をあれこれ調べて帰っていったので不思議に思っていたのだが、彼は下調べのエージェントだったのかも知れない。
彼女の会社の役員の方たちとは東京のホテルで会った。田舎の小さな竹屋としては、目玉が飛び出しそうな破格の金額を提示される。
「サインはここです。」
当然のようの差し出された契約書に目を落としてから作務衣のポケットをまさぐりペイズリー柄のハンカチを取り出した。20数年前、祖父が亡くなった時、遺志を引き継きたいと思って棺から髪の毛を1本とりだし、このハンカチにはさんで、ずっと大事に持っている。ゆっくりと席をたって言った。
「100年の歴史は、お金やないきに。...そうやろう、おじいちゃん」
そのまま羽田に向かい飛行機に乗った。"ドスン"。高知龍馬空港に着陸する衝撃でいつも目が覚める。今日は目覚めたら、自宅のベットだった。
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